監督週間と批評家週間に並ぶ、カンヌ映画祭の3つの並行部門のうちのひとつ。芸術的作品を支援するために映画作家たちが創設した「インディペンデント映画普及協会(ACID)」が作品選定・運営。1993年に創設。カンヌでは、世界の先鋭的な9作品を紹介し続けている重要な部門。
独立賞
FIPRESCI賞(国際映画批評家連盟賞)
エキュメニカル審査員賞
バルカン賞(技術賞)
パルム・ドッグ賞
クィア・パルム
ショパール・トロフィー(フランス語版)
フランソワ・シャレ賞(フランス語版)
ルイユ・ドール(フランス語版)
特別賞
パルム・ドール・ドヌール(名誉パルム・ドール、パルム・ドール名誉賞とも)
金の馬車賞(フランス語版)(監督週間の特別賞)
記念賞
20周年記念賞(1966年):オーソン・ウェルズ『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』
25周年記念賞(1971年):ルキノ・ヴィスコンティ『ベニスに死す』
35周年記念賞(1982年):ミケランジェロ・アントニオーニ『ある女の存在証明』
40周年記念賞(1987年):フェデリコ・フェリーニ『インテルビスタ』
45周年記念賞(1992年):ジェームズ・アイボリー『ハワーズ・エンド』
50周年記念賞(1997年):ユーセフ・シャヒーン『炎のアンダルシア』
55周年記念賞(2002年):マイケル・ムーア『ボウリング・フォー・コロンバイン』
60周年記念賞(2007年):ガス・ヴァン・サント『パラノイドパーク』
70周年記念賞(2017年):ニコール・キッドマン
75周年記念賞(2022年):ダルデンヌ兄弟『Tori et Lokita』
過去に存在した賞
フランス映画高等技術委員会賞(1951年?2001年)
2003年からバルカン賞に改められた。
国際カトリック映画事務局賞(1952年?1973年)
1974年からエキュメニカル審査員賞に改められた。
ユース賞(フランス語版)(1982年?2012年)
撮影賞
音楽賞
最高賞はパルム・ドール(Palme d'Or)と呼ばれ、ノミネートされた20本前後の映画作品の中から選ばれる。二本以上の作品が選ばれる年もある。当初は最高賞を「グランプリ」(Grand Prix du Festival International du Film、国際映画祭のグランプリ)としていたが、1955年にトロフィーの形にちなんだ「パルム・ドール」(黄金のシュロ)を正式名称とし、「グランプリ」とも呼ばれる形とした。1965年に最高賞の正式名称を「グランプリ」に戻すが、1975年に再度「パルム・ドール」としている。長らくカンヌにおいては「グランプリ」とは最高賞の正式名称もしくは別名であったが、1990年に審査員特別賞('Grand Prix Special du Jury')に「グランプリ」の名が与えられることとなり、混乱を招いている。
年度別に関してはCategory:カンヌ国際映画祭を参照。
1960年にアニメーション部門を独立させ、アヌシー国際アニメーション映画祭を設立した。このため、長年に渡り原則としてアニメーション作品はノミネートされなかったが、近年ようやく時代の変化を受け、徐々にノミネートを試み始めている。 1930年代後半、ファシスト政府の介入を受け次第に政治色を強めたヴェネツィア国際映画祭に対抗するため、フランス政府の援助を受けて開催されることになったのがカンヌ国際映画祭である。1939年から開催の予定だったが、当日に第二次世界大戦勃発のため中止。終戦後の1946年に正式に開始されることになった。 しかし1948年から1950年まで、予算の関係で開催されず、1951年に再び開催。この頃からパレ・デ・フェスティバルが会場として使用されている。 1968年には五月革命が起こり、ルイ・マル、フランソワ・トリュフォー、クロード・ベリ、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ、クロード・ルルーシュ、ロマン・ポランスキー、ジャン=リュック・ゴダールなどの要請により、映画祭が中断されるという事態が起こった(1968年のカンヌ映画祭
歴史
2020年は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、開催が延期された[5]。またパルム・ドールなどの選考も中止。
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