カンヌ国際映画祭
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40周年記念賞(1987年):フェデリコ・フェリーニインテルビスタ

45周年記念賞(1992年):ジェームズ・アイボリーハワーズ・エンド

50周年記念賞(1997年):ユーセフ・シャヒーン炎のアンダルシア

55周年記念賞(2002年):マイケル・ムーアボウリング・フォー・コロンバイン

60周年記念賞(2007年):ガス・ヴァン・サントパラノイドパーク

70周年記念賞(2017年):ニコール・キッドマン

75周年記念賞(2022年):ダルデンヌ兄弟『Tori et Lokita』


過去に存在した賞

フランス映画高等技術委員会賞(1951年?2001年)
2003年からバルカン賞に改められた。

国際カトリック映画事務局賞(1952年?1973年)
1974年からエキュメニカル審査員賞に改められた。

ユース賞(フランス語版)(1982年?2012年)

撮影賞

音楽賞

最高賞はパルム・ドール(Palme d'Or)と呼ばれ、ノミネートされた20本前後の映画作品の中から選ばれる。二本以上の作品が選ばれる年もある。当初は最高賞を「グランプリ」(Grand Prix du Festival International du Film、国際映画祭のグランプリ)としていたが、1955年にトロフィーの形にちなんだ「パルム・ドール」(黄金のシュロ)を正式名称とし、「グランプリ」とも呼ばれる形とした。1965年に最高賞の正式名称を「グランプリ」に戻すが、1975年に再度「パルム・ドール」としている。長らくカンヌにおいては「グランプリ」とは最高賞の正式名称もしくは別名であったが、1990年に審査員特別賞('Grand Prix Special du Jury')に「グランプリ」の名が与えられることとなり、混乱を招いている。

年度別に関してはCategory:カンヌ国際映画祭を参照。

1960年にアニメーション部門を独立させ、アヌシー国際アニメーション映画祭を設立した。このため、長年に渡り原則としてアニメーション作品はノミネートされなかったが、近年ようやく時代の変化を受け、徐々にノミネートを試み始めている。
歴史

1930年代後半、ファシスト政府の介入を受け次第に政治色を強めたヴェネツィア国際映画祭に対抗するため、フランス政府の援助を受けて開催されることになったのがカンヌ国際映画祭である。1939年から開催の予定だったが、当日に第二次世界大戦勃発のため中止。終戦後の1946年に正式に開始されることになった。

しかし1948年から1950年まで、予算の関係で開催されず、1951年に再び開催。この頃からパレ・デ・フェスティバルが会場として使用されている。

1968年には五月革命が起こり、ルイ・マルフランソワ・トリュフォークロード・ベリジャン=ガブリエル・アルビコッコクロード・ルルーシュロマン・ポランスキージャン=リュック・ゴダールなどの要請により、映画祭が中断されるという事態が起こった(1968年のカンヌ映画祭(フランス語版))。

2020年は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、開催が延期された[5]。またパルム・ドールなどの選考も中止。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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