カントリー・ミュージック
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トラック・ドライビング・カントリー・ミュージックはカントリー・ミュージックのジャンルの1つであり[65]、ホンキートンク、カントリー・ロック、ベイカーズフィールド・サウンドの融合ジャンルという見方もある[注 4]。歌詞はトラック運転手のライフスタイルに焦点をあてていた[66]。トラック・ドライビング・カントリーは、しばしばノベルティ・ソングや、トラック、女性、ジョーク、トイレなどについて歌われる。トラック・ドライビング・カントリーで知られるアーティストにはデイヴ・ダドリー、コマンダー・コディ、ランディ・グッドラム、オスカー・レイ、エド・バーネット、デル・リーヴズ、ウイリス・ブラザーズ、ジェリー・リード、C・W・マコール(ビル・フライズ)、クレダス・マガード(ジェイ・ハガリー)などがいる。ダドリーはトラック・ドライビング・カントリーの父として知られている[注 5]
ロード・ミュージック

厳密に分類すれば、トラックDカントリーとロード・ミュージックは異なるジャンルである。ロード・ミュージックとして知られる歌手にはウィリー・ネルソン[注 6][67]、ロジャー・ミラー[68]、シャーリー・アンド・スクワーリー(ノベルティ・ソング、ジャズ)、ボブ・ゲロッテ(ブルーアイド・ソウル)らがいる。ロード・ミュージックは、普通乗用車を運転するドライバー向けの音楽である。
ネオトラディショナル・ムーブメント詳細は「ネオトラディショナル・カントリー」を参照

1980年代中期、多くの新人アーティストが洗練されたカントリー・ポップではなく、より伝統的な「ベーシックへの回帰」をしてラジオやチャートで人気が出るようになった。1986年、ランディ・トラヴィスがアルバム『Storms of Life 』でデビューして400万枚を売り上げ、1987年、『ビルボード』誌の年間カントリー・アルバム・チャートで第1位を獲得した。1980年代後半、多くのアーティストが伝統的ホンキートンク、ブルーグラス、フォーク、ウエスタン・スウィングなどを歌った。ネオトラディショナル・カントリーの特徴的なアーティストにはトラヴィス・トリット、キース・ウィットリー、アラン・ジャクソン、リッキー・スキャグス、パティ・ラヴレス、キャシー・マッティア、ジョージ・ストレイト、ザ・ジャッズなどがいる。
1990年代、第5世代

ロックなどの影響を強く受け、今や若者を含めた幅広い世代の絶大な支持を得て、アメリカでは最も人気のある音楽ジャンルの一つとなっている。 例としては、花火ワイヤーアクションを使い、まるでハードロックのような派手なコンサート演出を取り入れたガース・ブルックスが、既に全アルバム売上総数1億2,800万枚に達している。 また、カナダ出身の女性シンガーで、ポップスタイルを定着させたシャナイア・トゥエインも、アメリカ世帯の3軒に1軒が彼女のアルバムを所有しているというほどの売り上げを誇っており、彼らはもはや世界的ポップスターのマイケル・ジャクソンマドンナなどの歴代総売り上げを超えている。グループでは、女性トリオのディクシー・チックスが既に3,000万枚以上のCDを売り上げ、女性グループとしては史上最多セールスとなっている。

ガース・ブルックス

シャナイア・トゥエイン

フェイス・ヒル
ガース・ブルックス

1980年代、連邦通信委員会の1980年代から1990年代の予定に、地方や郊外に向けた、より高音質なFMのラジオ局を増やすためにカントリー・ミュージックに目をつけた。当時カントリー・ミュージックは主に地方のAMラジオ局で放送されていたが、FM局の拡大に伴いAM局はよりトーク番組をメインに、音楽番組はFM局に移行してカントリーの音楽番組はFMで流されるようになった(ただし古くからのクラシック・カントリー番組はAMに残った)。同時にビューティフル・ミュージックの地方局は廃業したり、カントリー・ミュージックに移行したりした。これによりカントリー・ミュージックのプロデューサーたちはより広い聴取者を獲得するため音楽に洗練さを加えた。オルタナティヴ・ロックに影響を受けた騒々しくメロディックでないサウンドにロック・ミュージックが変化したことによりカントリー・ミュージックも変化した。「ニュー・カントリー」はモダン・ロックにはメロディック過ぎてクラシック・カントリーにはエレクトリック過ぎる、よりエレクトリックなミュージシャンの影響を受けたロックを吸収した。チャーリー・ダニエルズやレーナード・スキナードなどのサザン・ロックを含む多くのクラシック・ロックのアーティストはモダン・ロックよりもモダン・カントリー寄りになった。

1990年代、カントリー・ミュージックはポピュラー・ミュージック史上最も成功したカントリー歌手の1人であるガース・ブルックスにより世界的現象となり[69][70][71]、約10年にわたり売上と観客数で記録を更新し続けた。アメリカレコード協会は約1億1,300万枚の売上によりプラチナ128倍に認定した[72]。この頃の他のアーティストにはクリント・ブラック、サミー・カーショウ、アーロン・ティッピン、トラヴィス・トリット、アラン・ジャクソンの他、新たにデュオを組んだブルックス&ダンなどがいる。1980年代にキャリアを開始したジョージ・ストレイトはこの10年以上広く成功を続けた。1990年代にトビー・キースはよりポップに近いカントリー歌手としてキャリアを開始し、1990年代後期、『Pull My Chain 』や『Unleashed 』でアウトロウのイメージがついた。

1990年代、女性アーティストではリーバ・マッキンタイア、パティ・ラヴレス、フェイス・ヒル、マルティナ・マクブライド、ディーナ・カーター、リアン・ライムスミンディ・マクリーディ、ロリー・モーガン、シャナイア・トゥエイン、メアリー・チェイピン・カーペンターなどのアルバムがプラチナ認定された。

1990年代から2000年代初頭、ディクシー・チックスが最も人気があるカントリー・バンドとなった。1998年のデビュー・アルバム『Wide Open Spaces 』プラチナ12倍、1999年のアルバム『Fly 』はプラチナ10倍に認定された。2003年、3枚目のアルバム『Home 』の発売後の海外公演中、リード・ヴォーカルのナタリー・メインズが自分とメンバーたちは数日前に大統領がイラク戦争を始めたばかりの当時のジョージ・W・ブッシュ大統領と同じ州出身であることを恥じると語ったことにより、政治ニュースで取り上げられた。これによりバンドとカントリー・ミュージック業界の間に亀裂が走り、よりロック色の濃い2006年の4枚目のアルバム『Taking the Long Way 』が最後となり、商業的には成功したが、多くのカントリー・ファンからは見放される結果となった。メインズがソロで活動するようになったためバンドは休止状態であるが、他の2人のメンバーはコート・ヤード・ハウンズとして活動を続けている。

1990年代初頭、カントリー・ウエスタン・ミュージックはラインダンスの影響を受けた。これについてチェット・アトキンスは「音楽は酷くなったと私は思う。全てラインダンスのせいだ」と語った[73]。1990年代終盤、少なくとも1人の振付師がラインダンスの良い音楽はもうないと語った。

1970年代および1980年代に成功していたドン・ウイリアムズやジョージ・ジョーンズなどは新たなアーティストの出現により人気が急降下した。
オルタナ・カントリー詳細は「オルト・カントリー」を参照

パンク・ロックとカントリーの融合の第一人者はジェイソン&ザ・スコーチャーズであり、ロング・ライダーズなどの1980年代の南カリフォルニアのカウパンクであった。これらのスタイルは1990年のアンクル・トゥペロのLP『No Depression 』が最初のオルト・カントリーのアルバムとされており、この動向は『No Depression 』誌の発行に繋がった。アンクル・トゥペロのメンバーや形態はウィルコ、サン・ヴォルト、ボトル・ロッカーズの形成に影響を与えた。他にブルー・マウンテン (バンド)ブルー・マウンテン、ウイスキータウン、ライアン・アダムス、ブラッド・オレンジズ、ブライト・アイズ、ルシンダ・ウイリアムズ、ドライブ・バイ・トラッカーズなどがいる。


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