カンタータ
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フランス

フランスでは、18世紀前半に、パリにおけるサロンの発展を背景として、「カンタータ・フランセーズ(cantate francaise)」と呼ばれるフランス語の声楽曲が数多く作曲された。カンタータ・フランセーズという名称がはじめて音楽作品に対して用いられたのは、1706年に出版されたジャン=バティスト・モラン(1677年 - 1754年)の曲集においてである。典型的なフランスのカンタータは、レシタティフとエールが3曲ずつ交互に繰り返される6楽章形式の独唱曲で、フランス音楽とイタリア音楽の融合が目指されており、イタリア起源の基本的な楽曲構成や器楽による伴奏法と、ジャン=バティスト・リュリ1632年 - 1687年)がフランス・オペラにおいて開拓したフランス語の朗唱法、優雅な抑揚や繊細な装飾を伴ったフランス風の旋律様式を結びつけたものであった。フランスのカンタータの代表的な作曲家としては、アンドレ・カンプラ1660年 - 1744年)、ニコラ・ベルニエ1664年 - 1734年)、ルイ=ニコラ・クレランボー1676年 - 1749年)等がいる。

フランスのカンタータは、18世紀フランスにおけるイタリア音楽の流行とともに作曲され、18世紀フランスの音楽様式より華やかで和声的に充実させることに貢献したが、18世紀中頃には、より簡潔なカンタティユ(cantatille)に取って代わられた。
19世紀以降のカンタータ

19世紀には、17 ? 18世紀のカンタータとはほとんど関連をもたない多種多様な声楽作品としてカンタータが作曲された。独唱用のカンタータには、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン1732年 - 1809年)、ルイ・エクトル・ベルリオーズ1803年 - 1869年)等による作品があるが、多くの場合、独唱声部を含む合唱と管弦楽のための作品に対してカンタータという名称が用いられるようになる。とくに、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン1770年 - 1827年)が1814年ウィーン会議の際に作曲した『栄光の瞬間(Der glorreiche Augenblick)』のように、記念式典や特別な行事においては大規模なカンタータが好んで作曲された。このため、カンタータとオラトリオオードとの間には、曲種としての相違がほとんどなくなり、カンタータはオラトリオより一般に演奏時間が短いといった傾向が認められるに過ぎなくなる。

一方、カンタータは、パリ音楽院が授与するローマ賞の課題形式であったため、フランスのアカデミーにおいて特別の位置を占めた。ローマ賞の受賞作品となった代表的なカンタータとしては、クロード・ドビュッシー1862年 - 1918年)が1884年に作曲した『放蕩息子(L'enfant prodigue)』がある。

20世紀に入っても、前世紀からの傾向は続いており、主に合唱と管弦楽のための作品といった共通項を除いては、音楽・歌詞の両面において多様なカンタータが作曲されている。
カンタータの作曲者一覧

()は作品名

J・S・バッハ(われら汝に感謝す(第29番)、神の時こそいと良き時(第106番)、目覚めよと呼ぶ声が聞こえ(第140番)、心と口と行いと生きざまをもて(第147番)、おしゃべりはやめて、お静かに(通称“コーヒー・カンタータ”)(第211番)、わしらの新しいご領主に(通称“農民カンタータ”)(第212番))

ブクステフーデ(我らがイエスの四股)

ヴィヴァルディ(哀れなわが心、小枝に戯れ、憧れの瞳よ、夜も更けて、生まれついたる厳しさで、不実な心、涙と嘆き、疑いの影をさして、黄金色の雨のごとく、このような見知らぬ小道へ、天に紅の光が立ち、山鳩を求めて空しく、遅かったのに、喜びの子ら)

ヘンデル(パルナス山の祭典、狩にて、運命の時から、本当だろう、フィレーノは去ってしまった、偽りの希望、やさしい時に、あのことを思う間に、私は感じる、ジャスミンの花、私は聞く、お前は美しく、私の軽蔑するのは、愛の神が見て)

ラモー(オルフェ、焦燥、アキロンとオリテー、テティス、忠実な羊飼い)

ハイドン(嵐、今いかなる疑いが、アプラウスス)

ベートーヴェン静かな海と楽しい航海、栄光の瞬間、皇帝ヨーゼフ2世の葬送カンタータ)

モーツァルト(悔悟するダヴィデ、フリーメイソンの喜び)

シューベルト(ヨーゼフ・シュペンドゥを讃えるカンタータ、フォーグルの誕生日のためのカンタータ「春の朝」)

ロッシーニ (ランスへの旅、または黄金の百合咲く宿、 シャルル10世の戴冠式のためのカンタータ)

ドニゼッティ(テレサとジャンファルドーニ、サッフォー、クリストフ・コロンボ)

ウェーバー(最初の調べ、歓迎、戦いと勝利)

ベルリオーズ(帝国、エルミニー、キリストの幼年時代、クレオパトラの死、サルダナパールの死)

メンデルスゾーン(結婚カンタータ、最初のワルプルギスの夜

ブルックナー(諦め、いざ友よ楽しき祝いに、ヘルゴラント

ドビュッシー(森のディアーヌ、放蕩息子、エレーヌ、剣闘士、春、選ばれし乙女

ラヴェル(ミルラ、アリサ、アルシオーヌ)

ビゼー(クロヴィスとクロティルド)

ヴェルディ(諸国民の讃歌)

プッチーニ(美しいイタリアの子ら、ユピテル讃歌)

チャイコフスキーモスクワ、歓喜に寄す、モスクワ工業博覧会開会のカンタータ、ペトロフの活動50年祝賀のカンタータ)

レスピーギ(キリスト)

ブラームス(リナルド)

ドヴォルザーク(幽霊の花嫁、アメリカの旗)

バルトーク(魔法にかけられた鹿)

パレー(ヤニツァ)

サン=サーンス(プロメテの結婚、夜)

シベリウス(大学祝典のカンタータ、ニコライ2世の戴冠式のためのカンタータ、放たれた女王、コノウの詩によるカンタータ、我が祖国、大地の歌、大地への讃歌)

ヴェーベルン (カンタータ第1番、第2番、第3番)

ストラヴィンスキー(星の王、バベル)

ミヨー(主をたたえるカンタータ、焔の城、チョーサーのテキストによるカンタータ、放蕩息子の帰宅、カルロス、成人式のためのカンタータ、紙とステロ板との結婚、格言カンタータ、四元素、パンとシリンクス)

リムスキー=コルサコフ(スヴィテ・ジャンカ、ホメロスより、賢者オレーグの歌)


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