肖像請求者生没年付記 "カルロス7世"の長女ブランカは、ハプスブルク=トスカーナ家のレオポルト・ザルヴァトール大公と結婚した。1943年、大公夫妻の末息子カール・ピウスが、大叔父アルフォンソ・カルロスの後継者であると宣言して、カルリスタ王位請求者に名乗りをあげた。これは女系を通じての請求であるため、圧倒的大多数のカルリスタからは受け入れられず、わずかな支持を得るに留まった。同家の支持者たちはカルロクタビスタ(carloctavista)と呼ばれた。1975年のフランツ・ヨーゼフの死後まもなく、フアン・カルロス1世による王政復古もあって、ブランカの子孫を支持するカルリスタはいなくなった。 肖像請求者生没年付記 フェリペ5世
"ハイメ4世"
(ハイメ・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグ)
1964年5月3日 - 1969年7月19日1908年6月23日 - 1975年3月20日セゴビア公。カルリスタ王位請求者としてはマドリード公、フランスのレジティミスト王位請求者としては、アンジュー公の称号で呼ばれた。
ハプスブルク=トスカーナ家(1936年 - 1975年)
"カルロス8世"
(カルロス・ピオ・デ・アブスブルゴ=ロレナ・イ・ボルボン)
1936年9月29日 - 1953年12月24日1909年12月4日 - 1953年12月24日ブランカの五男。フランシスコ・フランコの翼賛集団国民運動
"カルロス9世"
(アントニオ・デ・アブスブルゴ=ロレナ・イ・ボルボン)
1953年12月24日 - 1961年1901年3月20日 - 1987年10月22日ブランカの三男。1961年に弟フランツ・ヨーゼフに譲位した。
"フランシスコ・ホセ1世"
(フランシスコ・ホセ・デ・アブスブルゴ=ロレナ・イ・ボルボン)
1961年 - 1975年5月9日1906年3月30日 - 1975年5月9日ブランカの四男。死後、兄アントンの次男ドミニク(スペイン語版)が支持のないまま後継者を名乗った。
"ドミニコ1世"
(ドミニコ・デ・アブスブルゴ=ロレナ(スペイン語版))
1975年5月9日 - 1937年7月4日 -フランシスコ・ホセ1世の甥。
系図
ルイス1世 フェルナンド6世 カルロス3世 フィリッポ
パルマ公
〔ブルボン=パルマ家〕
カルロス4世 マリア・ルイサ フェルディナンド
パルマ公
フェルナンド7世 カルロス5世 フランシスコ・デ・パウラ
カディス公 マリア・ルイサ ルドヴィーコ
エトルリア王
カルロス6世 フアン3世 イサベル2世 フランシスコ・デ・アシス
カディス公 カルロ・ルドヴィーコ
パルマ公
カルロス7世 マルガリータ アルフォンソ・カルロス1世 アルフォンソ12世 カルロ3世
パルマ公
レオポルト・ザルヴァトール
〔ハプスブルク=トスカーナ家〕 ブランカ ハイメ3世 アルフォンソ13世 ロベルト
パルマ公
カルロス9世 フランシスコ・ホセ1世 カルロス8世 アルフォンソ