カルト映画(Cult Film, Cult Movie, Cult Cinema)は、公開後に熱心なファンを獲得して、長期にわたってさまざまな形で繰り返し鑑賞・消費されるようになった映画作品を指す[1]。
一般的な評価・嗜好基準からは外れているとみなされやすい俗悪・低劣な作品を熱狂的に受け入れるファンの姿を、宗教上のカルト・グループになぞらえてこの呼び名がある[1]。主に第二次大戦後のアメリカにおける映画の消費行動をとらえて作られた用語で、現在では日本を含む各国の映画作品に対しても使われている[1]。
映画研究の分野でも明確な定義はないが、総じて低予算で乱造された非主流映画を指すことが多く、この点でカルト映画は同時期に登場した「エクスプロイテーション映画」と大きく重なりあっている[1][2]。 アメリカにおいて映画は長く大都市の大型館でのみ上映されていたが、第二次大戦後になると、それがまず全国の地方都市へも拡散し、小型の上映館も急増した[3]。これを支えた要因の1つとされるのは大学進学率の上昇、つまり新しい文化動向への関心が強い大学生の増加である[4]。こうした環境の変化を背景に、アメリカ国内で上映される映画は、芸術性の高い外国映画から低俗な量産作品まで、大きく幅を広げることとなった[5]。 この中で現れてきたのが若い観客たちによる新しい鑑賞方法で、そこでは従来の評価基準にあえて反旗をひるがえし、低俗きわまる作品の中に独自の価値を見出して称揚するといったことが行われた[6]。その最初の典型的な例とされるのが、1975年のジム・シャーマン
概要
多様化する嗜好
ロッキー・ホラー・ショーの登場『妖怪巨大女』(1958年)ポスター。1970年代のアメリカでは、一般の基準からは俗悪・低劣とみなされやすい作品が好んで「カルト映画」として消費された。
このミュージカル作品では、奇怪な衣装をまとった登場人物が終始悪ふざけをしつづける。物語や演技・映像の見事さといったそれまで「良い映画」とされる条件を欠いており最初の興行ではまったく失敗したが[6]、1970年代の風俗や言葉づかいをそのまま取り込んだ演出に若い観客が注目し、ニューヨークなどで深夜上映会が繰り返し行われるようになった[5]。
上映回数を重ねると、映画の衣装を身にまとった観客による集まり、作品に登場するわずかな台詞の記憶を競いあう集まりなど、作品を軸にさまざまな消費行動が始まってゆく[3]。
当時のアメリカでは、カリスマ的人物への熱狂的な崇拝と異教的な礼拝儀式で特徴づけられる宗教集団「カルト」が急増しており[7]、1968年にチャールズ・マンソンとその支持者らが「シャロン・テート殺害事件」を引き起こして大きな社会問題となっていた[8]。
『ロッキー・ホラー・ショー』などの上映に集まった若い観客は、自分たちのファン行動を、揶揄をこめてこのカルトになぞらえ、崇拝対象となる作品を「カルト映画」(Cult Film)と呼ぶようになった[3]。また上記のような典型的なカルト映画の受容方法は、以後、大都市以外でも行われるようになってゆく[4]。