カリフォルニア大学バークレー校
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化学分野では、周期表元素のうち16個が本校で発見された[14]バークリウム(berkelium)とカリホルニウム(californium)は本校の名称に基づき命名された。

また州内のIT企業とも多くの共同研究などが進められており、コンピューター科学人工知能研究データ解析などの分野でも米国を代表する研究拠点である[10]

そのほか物理学化学工学経済学経営学など多方面の学術分野で伝統的に定評があり、2024年時点でノーベル賞受賞者を112人輩出している[15]

学部の合格率は2023年時点で11.3%と、全米最難関のグループに属する[16]。ハーバード大学など東部の名門私立大学群・アイビーリーグに対し、名門公立大学群・パブリック・アイビーの代表的存在とされる[17]

大学の学費は州外からの入学者でも年間で約4万8000ドル(約750万円)とアイビー・リーグ各校に比べてやや低く抑えられており、州住民は約1万5000ドル(約230万円)と、アメリカの大学としては大幅に低く設定されている[18]
沿革
設立

1866年に設立された私立大学College of Californiaが前身となり、その後カリフォルニア州経営の農業、鉱業、機械技術学校と合併する形で、1868年に「カリフォルニア大学」が設立される。

初代学長にはCollege of California創設者であるヘンリー・デューラン (Henry Durant) が就任した。1869年にオークランド市にあったCollege of Californiaの施設を利用し開学、1873年の新キャンパス完成を待ち、現在のバークレーへ大学施設を移動した ⇒[1]。当時の学生数は男子学生数167名、女子学生数222名 ⇒[2]

1891年に、ウィリアム・ランドルフ・ハーストの母であるフィービー・アパーソン・ハーストは、国際建築大会の支援、たくさんの教育プログラムなどを提供し、ハースト記念鉱業ビルとハーストホールの建設にも投資を行った。

当時のUC バークレーのベンジャミン・イデ・ウィーラー学長は1905年に、複数のカリフォルニア大学を開校する構想を打ち出し、まず、サクラメント市の近くにカリフォルニア大学デービス校を開校。ウィーラーの功績により「UCバークレー」の評判が高まり、奨学金などの資金援助も調達できるようにもなった。

建築家ジョン・ガレン・ハワードによって設計されたUC バークレーのキャンパスは新古典主義的な建物が多く、新しく建設されている建物などの元にもなっている。

1910年、UC バークレーはインド独立運動にも協力した。UCバークレーに在学していたインド人留学生を中心に運動を起こし、イギリス植民地支配を批判する週刊誌、ヒンドゥスタンガダーの発刊などを支援 ⇒[3]
黎明

ベンジャミン・ウィーラー (Benjamin Ide Wheeler) 学長(就任期間:1899-1919)のもとで、UC バークレーは著名な学者招致、研究援助費、奨学金の獲得に成功し、カリフォルニア大学は大きな成長を遂げる ⇒[4]

その後、第11代ロバート・スプロール (Robert Gordon Sproul) 学長(就任期間:1930-1958)時代に、他の一流大学を参考とした学内改革、積極的な著名研究者招致を行った結果、世界的な評価を得るまでに成長する。

第二次世界大戦時や世界恐慌の際にはUC バークレーは資金難に陥るが、独自の人脈で資金調達を行い、可能な限りの機関を運営継続させた ⇒[5]

1934年、UC バークレーは米国教育協議会による高等教育機関ランキングにおいて10位だったが、1942年にはハーバード大学に次ぎ、全米第2位に躍進する。
第二次世界大戦・原子爆弾の開発

多くの超重元素がUCバークレーの研究で発見されたことでも有名であり、中でも原子番号97番の元素バークリウム及び98番のカリホルニウムの名称は本校の地名に由来する。

UCバークレーは数々の超ウラン元素を発見しており、その内にはバークリウムカリホルニウムアインスタイニウムラザホージウムプルトニウムシーボーギウムローレンシウムなども含まれる。

米国の原水爆開発とUC バークレーの関わりは深く、「水爆の父」として知られるエドワード・テラーマンハッタン計画の主任研究員であるロバート・オッペンハイマー、バークレー放射線研究所(現:ローレンス・バークレー国立研究所)所長、アーネスト・ローレンスノーベル化学賞受賞者、グレン・シーボーグ等、本校の科学者が米国の原水爆開発に大きく貢献した。核兵器開発、環境、バイオテクノロジーの研究で著名な米国エネルギー省 (DOE) 所有のローレンス・リバモア国立研究所は本校により管理されている。
カリフォルニア大学システムの確立

1960年代、UC バークレーの分校という地位にあったロサンゼルス校 (UCLA) が一大学として運営を独立させた。同時期に、他の分校も独自の大学として運営するかたちで整備され、今日に至るカリフォルニア大学システム(UCシステム)ができる。
1960年代におけるフリースピーチ・ムーブメントWheeler Hall


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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