このほか伝統的に心理学・経済学の研究でも定評があり、2024年の時点でノーベル賞を受賞した教員らは71人にのぼる[14]。
学部の合格率は2023年時点で11.3%と、全米最難関のグループに属する[15]。ハーバード大学など東部の名門私立大学群「アイビーリーグ」に対し、名門公立大学群「パブリック・アイビー」の代表的存在とされる[16]。
大学の学費は州外からの入学者でも年間で約4万8000ドル(約750万円)とアイビー・リーグ各校に比べてやや低く抑えられており、州住民は約1万5000ドル(約230万円)と、アメリカの大学としては大幅に低く設定されている[17]。
大学のモットーは "Fiat lux"(そこに光あれ / Let There Be Light)。バークレーの地名は19世紀半ばに新たに町が建設されたさい、『視角新論』などで知られるアイルランドの哲学者ジョージ・バークリーにちなんで命名されている[18]。 1866年に設立された私立大学College of Californiaが前身となり、その後カリフォルニア州経営の農業、鉱業、機械技術学校と合併する形で、1868年に「カリフォルニア大学」が設立される。 初代学長にはCollege of California創設者であるヘンリー・デューラン (Henry Durant) が就任した。1869年にオークランド市にあったCollege of Californiaの施設を利用し開学、1873年の新キャンパス完成を待ち、現在のバークレーへ大学施設を移動した ⇒[1]。当時の学生数は男子学生数167名、女子学生数222名 ⇒[2]。 1891年に、ウィリアム・ランドルフ・ハーストの母であるフィービー・アパーソン・ハーストは、国際建築大会の支援、たくさんの教育プログラムなどを提供し、ハースト記念鉱業ビルとハーストホールの建設にも投資を行った。 当時のUC バークレーのベンジャミン・イデ・ウィーラー学長は1905年に、複数のカリフォルニア大学を開校する構想を打ち出し、まず、サクラメント市の近くにカリフォルニア大学デービス校を開校。ウィーラーの功績により「UCバークレー」の評判が高まり、奨学金などの資金援助も調達できるようにもなった。 建築家ジョン・ガレン・ハワードによって設計されたUC バークレーのキャンパスは新古典主義的な建物が多く、新しく建設されている建物などの元にもなっている。 1910年、UC バークレーはインド独立運動にも協力した。UCバークレーに在学していたインド人留学生を中心に運動を起こし、イギリス植民地支配を批判する週刊誌、ヒンドゥスタンガダーの発刊などを支援 ⇒[3]。 ベンジャミン・ウィーラー (Benjamin Ide Wheeler) 学長(就任期間:1899-1919)のもとで、UC バークレーは著名な学者招致、研究援助費、奨学金の獲得に成功し、カリフォルニア大学は大きな成長を遂げる ⇒[4]。 その後、第11代ロバート・スプロール (Robert Gordon Sproul) 学長(就任期間:1930-1958)時代に、他の一流大学を参考とした学内改革、積極的な著名研究者招致を行った結果、世界的な評価を得るまでに成長する。 第二次世界大戦時や世界恐慌の際にはUC バークレーは資金難に陥るが、独自の人脈で資金調達を行い、可能な限りの機関を運営継続させた ⇒[5]。 1934年、UC バークレーは米国教育協議会による高等教育機関ランキングにおいて10位だったが、1942年にはハーバード大学に次ぎ、全米第2位に躍進する。 多くの超重元素がUCバークレーの研究で発見されたことでも有名であり、中でも原子番号97番の元素バークリウム及び98番のカリホルニウムの名称は本校の地名に由来する。 UCバークレーは数々の超ウラン元素を発見しており、その内にはバークリウム、カリホルニウム、アインスタイニウム、ラザホージウム、プルトニウム、シーボーギウム、ローレンシウムなども含まれる。 米国の原水爆開発とUC バークレーの関わりは深く、「水爆の父」として知られるエドワード・テラー、マンハッタン計画の主任研究員であるロバート・オッペンハイマー、バークレー放射線研究所(現:ローレンス・バークレー国立研究所)所長、アーネスト・ローレンス、ノーベル化学賞受賞者、グレン・シーボーグ等、本校の科学者が米国の原水爆開発に大きく貢献した。核兵器開発、環境、バイオテクノロジーの研究で著名な米国エネルギー省 (DOE) 所有のローレンス・リバモア国立研究所は本校により管理されている。 1960年代、UC バークレーの分校という地位にあったロサンゼルス校 (UCLA) が一大学として運営を独立させた。同時期に、他の分校も独自の大学として運営するかたちで整備され、今日に至るカリフォルニア大学システム(UCシステム)ができる。 今日のUCバークレーの特徴であるそのリベラルな校風は、1960年代のフリースピーチ・ムーブメント
沿革
設立
黎明
第二次世界大戦・原子爆弾の開発
カリフォルニア大学システムの確立
1960年代におけるフリースピーチ・ムーブメントWheeler Hall
現在でもそのリベラル気質は学生に脈々と受け継がれる。UCバークレーの学生は他の米国一流大学の学生より、革新的かつリベラルで信仰心が薄いとされている ⇒[8]。
2007年9月10日に、William and Flora Hewlett 財団から$113M(約130億円)の寄付を受理した。当時の学長のRobert J. Birgeneauは、「この寄付は、公共高等教育の資金調達の転換を象徴するものであり、米国の卓越した公立大学 (=UCバークレー) とエリート私立ライバル校との資金ギャップの解消に役立つものである」とコメントした(州立大学への寄付としてはアーカンソー大学が受け取った3億ドルが過去最高額である)。
同年10月より、YouTubeを使用し講義を視聴することが可能になった。ただし視聴するだけでは単位を取得することはできない。YouTube以前にも、音声ファイルを用いた講義公開などは行われてきていた。これに関してバークレー校側は「ユーチューブですべての授業をみることができる初めての大学をめざす」と語っている[19]。工学部(Berkeley Engineering) スティーブ・ウォズニアック(米Apple共同創業者)やエリック・シュミット(米Google社長兼CEO)、アンドリュー・グローヴ(米Intel共同創業者)、ポール・オッテリーニ(米Intel社長兼CEO)、ドナルド・フィッシャー
著名な卒業生・関係者
著名な日本人卒業生・日本にゆかりのある卒業生は孫正義(ソフトバンクグループ社長)、緒方貞子(元国連難民高等弁務官)、外池徹(アフラック生命保険社長)、里見治紀(セガサミーホールデングス社長)、中尾武彦(アジア開発銀行総裁)、伊藤公平(慶應義塾大学学長)、ロバート・キャンベル(日本文学研究者)など。