カリガリ博士
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部屋の中を探索したフランシスたちは、夢遊病者を使った殺人を犯した見世物師について描かれた古い本を発見した。その見世物師の名前はカリガリ。驚愕した一行はさらにカリガリ博士の日記を発見し、博士が本の記述を再現することに心を奪われていることを知った。翌日、病院に運び込まれたチェザーレの死体と対面したカリガリ博士は、悲しみのあまり取り乱す。博士はその場で病院の職員たちに取り押さえられ、拘束衣を着せられて独房へ収容される。

このように語られてきたフランシスの回想は実は彼の妄想で、現実にはフランシスは精神病院の患者であり、ジェーンやチェザーレもまた患者であることが明らかにされる。フランシスは精神病院の院長をカリガリ博士だと言って掴みかかるが、取り押さえられ拘束衣を着せられ収容される。院長はついにフランシスの妄想が理解できたので治療の方法が判明したと宣言する。
キャスト

カリガリ博士:
ヴェルナー・クラウス

チェザーレ:コンラート・ファイト

フランシス:フリードリッヒ・フェーエル

ジェーン:リル・ダゴファー

アラン:ハンス・ハインツ・フォン・トワルドウスキー

オルセン博士(ジェーンの父):ルドルフ・レッティンゲル

本作品の制作と上映

この節の加筆が望まれています。

プロデューサーのエリッヒ・ポマーは、当初フリッツ・ラングに監督を要請したが、ラングがすでに他の作品に関わっており時間が取れなかったため、ヴィーネに本作品の監督を託した。

当初、脚本家のハンス・ヤノヴィッツ、カール・マイヤーが描いていた脚本では、犯罪描写は、もっと過激で猟奇色の強い物で、結末は、カリガリ博士と眠り男チェザーレが、一連の殺人事件に関与していたことが明確になり、博士が断罪される形で終わる物だったという。ヤノヴィッツとマイヤーは、本来の脚本はもっと社会性の強い物であったが、プロデューサーの不当な圧力により改作され、完全に骨抜きにされてしまった、元の脚本通りに作られていればもっといい作品になったはずだ、と後に主張している。脚本の改稿を行ったのは、フリッツ・ラングだが(クレジットはされていない)、ラングは、ヤノヴィッツとマイヤーの主張に対して、元の脚本は、素人っぽさが目立つ、政治的主張が前面に出た青臭い物で、二、三面白いアイデアはあったが、そのまま使えるような水準の物ではなかったと反論している。また、改稿は、プロデューサーの圧力による物ではなく、自分の判断で行ったとも語っている。

セットの制作に携わった人々は、ドイツ表現主義の画家たちであった。その一人、アルフレート・クビーン(英語: Alfred Kubin) は、幻覚悪夢をテーマとした白黒の銅版画作品を制作していた、シュルレアリスムにも影響を与えた。また、セットのデザインの大部分を行ったヘルマン・ヴァルムは、「映画は、絵画が命を吹き込まれたものであるべきである」と主張する芸術家グループ、シュトルムに属していた。

撮影は1919年の12月と1920年の1月に行われ、1920年2月26日、ベルリンにある映画館Marmorhausで初上映された[1]

日本での初公開は、1921年5月14日である。英語字幕での上映に、活動弁士が台本に即し、日本語で演技や状況説明を行っていた[2]徳川夢声も弁士として立った。当時の流行画家・竹久夢二もこれを観覧、あまり活動写真が好きではなかったというが、この映画の印象を雑誌「新小説」に挿絵とともに寄稿している。
本映画の特色

批評家からは、本作品のドイツ表現主義の手法や、奇抜で歪んだセットのデザイン、そして卓越した視覚的効果において、今日でも世界的に高く評価されている。フィルム・ノワール、およびホラー映画に影響を与えた重要な作品としても、位置づけられることが多い。最初期のホラー映画の一作品としても挙げられ、以降数十年間、アルフレッド・ヒッチコックなど、多くの映画監督が手本としていたことも指摘される。

以下が本作品の主な特色としてあげられる。

セット美術:ほぼすべてのショットにおいて、歪んだセット美術が使用されている。テント、柱、ドア、壁、煙突、屋根などがすべて平衡感覚が狂った状態で描かれており、床が水平でないこともある。また、白と黒のコントラストが多用され、照明もそれを強調している。ただし最初と最後の精神病院の庭(現実世界)のシーンだけはごく普通のセットである。

メイク:チェザーレの、目の周りを隈取したような奇抜なメイクは、不安感を煽るものである。また、衣装も奇抜なデザインで作られており、チェザーレの全身タイツのような黒の衣装や、拘束衣が例として挙げられる。

字幕:カリガリ博士の強迫観念を示す場面では、すでに撮影されたフィルムに文字が書き込まれ、博士の姿とともに文字を見せ、心理状態(ドイツ語で「カリガリ博士にならなければならない」のフレーズが繰り返し現れる)を実体化させ、カリガリ博士の心理をより印象づけている。

アイリスショットの多用:カメラに絞りをつけて撮影するショットをアイリスショットという。初期映画では、場面場面のつなぎを、特定の人物に絞りをつけて閉め(アイリス・アウト)、次の場面において、また人物に絞りをつけて開け(アイリス・イン)場面を切り替える方法が使用されていたが、本作品では、場面の切り替え以外でもアイリス・ショットを多用し、不安感をあおったり、注意を喚起したりする手法が多用されている。

誇張された演技:他のサイレント映画に比べても、登場人物たちの演技は感情や身振りをかなり誇張されている。


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