カラチ
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世界銀行は2007年2月にパキスタンで最も企業活動がしやすい都市としてカラチを選んだ[30]

一方、繊維産業セメント鉄鋼重機製造、化学工業、食品産業、銀行保険もカラチの主な産業となっている。自動車では1982年、日本のスズキが合弁企業、パック・スズキ・モーターを設立し、カラチ郊外の工業団地で自動車の生産販売に乗り出した[31]。2020年代では、パキスタン最大の自動車会社に成長している[32]。また、トヨタ自動車1989年にカラチ市内で合弁企業、インダス・モーターを設立。1993年からトヨタ・カローラなどの生産を始めている[33]

カラチはパキスタン経済の中枢であるが、政治的無秩序によって引き起こされた経済の停滞や1980年代1990年代後半に起こった民族紛争や軍事作戦は、カラチからの企業の流出を引き起こした。パキスタンの政府系および民間銀行のほとんどはI.I.Chundrigar通りに本部を置いており、2001年にはパキスタンのキャッシュフローの60%がこの通りで行われていた。多国籍企業のパキスタン本部もほぼカラチに置かれている。カラチ証券取引所は、パキスタン最大の証券取引所であり、この証券取引所が2005年以降のパキスタンの8%成長に果たした役割は大きいと多くの経済学者は考えている[34]。パキスタンの中央銀行であるパキスタン国立銀行は、カラチに本店を置いている。
人口統計

都市部人口推移
年人口±%
1856 56,875?    
1872 56,753?0.2%
1881 73,560+29.6%
1891 105,199+43.0%
1901 136,297+29.6%
1911 186,771+37.0%
1921 244,162+30.7%
1931 300,799+23.2%
1941 435,887+44.9%
1951 1,068,459+145.1%
1961 1,912,598+79.0%
1972 3,426,310+79.1%
1981 5,208,132+52.0%
1998 9,269,265+78.0%
2008 12,461,423+34.4%
Source:
[35]

カラチの人口は、直近150年間で劇的に変貌を遂げた。非公式ではカラチの人口は2000万人に到達したとされる[注釈 1]。1947年でのカラチの人口は40万人程度であった。カラチの人口は年率5%の増加を続けており、この増加数には、パキスタン各地からカラチへ出稼ぎに出てくる労働者の数も含んでいる[36]

カラチの歴史と関連するが、1947年以前のカラチには、パールシー、ユダヤ人、ヒンドゥー教徒キリスト教徒、バローチ人、グジャラート人(英語版)とシンド人が居住していた。しかし、パキスタンの分離独立により、多くのヒンドゥーがカラチを離れ、それに代わる形でインドから多くのウルドゥー語話者ムスリムが移住した。彼らをムハージル(英語版)と呼ぶ。ムハージルは、インド各地からカラチへやってきたため、それぞれの故郷の文化、料理をもたらした。現在ではムハージルの存在がカラチのコスモポリタン性に彩を添えている。

一方で、ムハージルと土着のシンド人との関係は良好とは言えず、しばしば衝突が起こっている。カラチはシンド州に属する都市だが、1960年代の推計ではカラチ人口におけるシンド人の割合は20%にすぎず、人口の6割以上はムハージルが占めていたとされる[37]。1960年代からシンド人の民族主義が高揚する一方、それに対抗する形で1970年代からムハージルの地位向上を目指す民族運動が盛んになり、1984年にはカラチでムハージルの民族政党であるムハージル民族運動 (Muhajir Quami Movement 、MQM) がアルターフ・フセインによって結成された[38]。ムハージル民族運動はカラチを地盤として勢力を伸ばしたが、1992年には2派に分裂し、1997年にはアルターフ・フセイン派が党名を統一民族運動 (Muttahida Qaumi Movement、MQM) と変更した。

1979年、ソ連によるアフガニスタン侵攻が勃発した。この侵攻を契機に多くのアフガン難民がカラチにも殺到した[39]。彼らはカラチに定住し、その人口は100万人以上と推計される。また、アフガニスタンからの難民は様々な民族から構成されている。具体的には、パシュトゥーン人タジク人ハザーラ人ウズベク人トルクメン人である。

カラチには、それ以外にも多くの民族が居住している。例えば、アラブ人イラン人フィリピン人ミャンマーの軍事政権下から逃れてきたロヒンギャ人、ボスニア人アルバニア人ポーランド人、レバノン人、アルメニア人ベンガル人であり、また、アフリカから移住してきた人々も居住している。

宗教的にはイスラム教徒が圧倒的に多く、1998年の国勢調査では、カラチ市民の96.45%がイスラム教徒であり、ついでキリスト教(2.42%)、ヒンドゥー教(0.86%)、アフマディーヤ(0.17%)、その他宗教(バハイ教シーク教ゾロアスター教ユダヤ教仏教)が0.10%となっている[40]

言語的には、1998年の国勢調査ではウルドゥー語人口が62.52%で過半数を占め、ついでパンジャブ語13.94%、シンド語7.22%、パシュトゥーン語5.42%、バローチー語4.34%、サライキ語2.11%、その他12.4%となっている。


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