カマラ・ハリス
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この小学校はもともと95%が白人だったが、差別撤廃計画が実行されてからは黒人の比率が40%まで増えた[25]。当時のバークレーでたびたび行われた公民権運動のデモにも、両親は子供を連れて参加していた[23]。ハリスが7歳のときに両親は離婚し、その後は妹とともに母親に育てられた[23]。それからハリスが12歳のとき、母子はカナダのケベック州モントリオールに移住した。母シャーマラはジューイッシュ総合病院(英語版)で研究しながらマギル大学で教鞭をとっていた[26][27]

ハリスはモントリオールのウェストマウント高校を卒業した後、ワシントンD.C.ハワード大学政治学経済学を専攻した[28][29]。ここでソロリティであるアルファ・カッパ・アルファ(英語版)に入会する[30][31]

大学を卒業後、ハリスはカリフォルニアに戻り、カリフォルニア大学ヘイスティングス・ロー・スクールで学んだ。1989年に法務博士号 (J.D.) を取得し[32]、カリフォルニア州の法曹資格試験に挑んだが不合格になった。ハリスは後に「試験で実力は計れません」と述べている[18]。翌1990年にカリフォルニア州の法曹資格を取得した[33]
州地方検察
地方検事補

1990年から1998年まで、カリフォルニア州アラメダ郡にて地方検事補として働いた。検察という仕事を選んだことについて、行政に変化をうながすために「実際に決定がなされる場にいたかったのです」と述懐している[18]

1998年以降は、1996年サンフランシスコで初のアフリカ系アメリカ人の市長となったウィリー・ブラウンの市政でサンフランシスコ地方検察局に赴任し、ハリスは常習犯対策班(Career Criminal Unit)の指揮を任された。2000年、サンフランシスコ市検事(City Attorney)のルイーズ・レネに要請されて、地域コミュニティ課(Community and Neighborhood Division)のチーフになった[34]

この間、ロサンゼルス・デイリー・ジャーナル(英語版)誌上にて、カリフォルニアの法曹トップ100人の中に選ばれた。またカリフォルニア地方検察協会の役員と、全米地方検察協会の副会長を務めた[35]
サンフランシスコ地方検事2004年、下院院内総務ナンシー・ペロシ

2003年の選挙において、2期務めた現職のテレンス・ハリナン(英語版)を下して、サンフランシスコ地方検事に当選した[36]

2004年4月、サンフランシスコ市警の警察官アイザック・エスピノザが殉職した事件で、犯人に死刑を求刑しないことをハリスは表明した[18]。これはサンフランシスコ警察官組合の反発を招いた。エスピノザの葬儀において、サンフランシスコのダイアン・ファインスタイン市長は最前列に座っていたハリスにむけて、壇上から犯人への死刑求刑を要望し、参列した2000名の警官たちはそれにスタンディング・オベーションを送った。それでもハリスは死刑求刑を拒否した。エスピノザを殺害した犯人はその後終身刑を言い渡された[18]

ハリスは麻薬密売の初犯者に対し、高校卒業と就職の機会を与えるプログラムを始めた。参加者は8年間で300名に満たなかったが、極めて低い再犯率を達成した[18]

2007年に無投票再選した[37]
カリフォルニア州司法長官2011年10月14日、ギャング活動で逮捕された100人以上の個人名を公表するカリフォルニア州司法長官ハリス

2008年11月12日、ハリスはカリフォルニア州司法長官選挙への立候補を表明した。カリフォルニア選出の上院議員両名(ダイアン・ファインスタインとバーバラ・ボクサー)及びナンシー・ペロシ下院議長の支持を集めた[38]。2010年6月8日に行われた予備選挙では33.6%の票を得て、2位に倍の差をつけて勝利した[39]

2010年11月2日一般選挙でハリスは民主党候補として、共和党候補のスティーブ・クーリー(英語版)と対峙した。開票の序盤において有利に進めたクーリーは勝利宣言をしたが、最終的に約75000票(0.8%)という僅差でハリスは勝利した。2011年1月3日、ハリスは初の女性・初のアフリカ系・初のインド系としてカリフォルニア州司法長官に就任した[40]

2014年11月4日、共和党候補のロナルド・ゴールドを破って再選した[41]

司法長官時代にアメリカ合衆国最高裁判所は、カリフォルニア州の収監中の囚人数は収容能力の2倍に達することが違憲であるという判決を出した。そのため、ハリス側は収監中の囚人たちの出所期限を延期させ、安価の労働力として山火事の消火などに投入した。一部の評論家はこれについて、「奴隷労働」と批判した[42]
連邦上院議員2017年5月、ハリス2017年1月3日、副大統領ジョー・バイデンに上院議員としての就任宣言をするハリス

民主党のカリフォルニア州選出上院議員を24年間続けたバーバラ・ボクサーが引退を表明した後、ハリスは2015年1月13日に上院選挙へ立候補することを発表した。

2016年民主党カリフォルニア大会にて78%を得票して、ハリスは民主党の公認を得た[43][44]。ただしこれは党の唯一の候補になることを意味しない[44]。5月23日にハリスはカリフォルニア州知事ジェリー・ブラウンからの支持を受けた[45]

2016年6月7日の予備選挙でハリスは40%の票を得て首位になった[46]。2位につけた下院議員のロレッタ・サンチェスも民主党所属であり、民主党による議席確保は確実のものとなった。カリフォルニアの上院議員選挙で、民主党候補同士による一騎打ちになったのは1914年以来のことである[46]。7月19日にはバラク・オバマ大統領とジョー・バイデン副大統領もハリスの支持を表明した[47]

2016年11月8日の一般選挙でハリスは61.6%を得票し、上院議員に選出された[48][46]。当選後ハリスは2016年アメリカ合衆国大統領選挙で勝利したドナルド・トランプの政策から移民を守ることを誓約した[49]


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