1996年、特撮番組『七星闘神ガイファード』を東宝と共同で製作。番組スポンサーとしても名を連ね、2年後の1998年にはゲームソフトも発売した。
2006年、テレビ特撮『魔弾戦記リュウケンドー』のスポンサーとなり、絵本を出版した。
2019年、GungHoと共同でスマートフォン向け対戦型カードゲーム『TEPPEN』をリリースした[16]。同年、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンとのコラボによる『バイオハザード』のアトラクションが期間限定で行われた。 かつてはサッカー・Jリーグのセレッソ大阪のユニフォーム背中上部スポンサーを1996年まで務めていた(1997年まではクラブの運営会社にも出資していた。)。 そして、2022年8月1日にセレッソ大阪のユニフォームパンツ裏と練習着のスポンサーを務める事になり、Jリーグに昇格した1995年?1996年シーズンの2年間、背中上部スポンサーを務めて以来、26年ぶりにセレッソ大阪のユニフォームスポンサーとして復帰することになった[17]。翌2023年シーズンからユニフォーム袖スポンサーを務める。 また2022年5月6日には日本バレーボール協会のオフィシャルスポンサー(トップパートナー)を務める他、龍神 NIPPONや火の鳥 NIPPONのユニフォーム胸スポンサーを務めることになった。また、1990年代前半には、カプコンレーシングチームとして、F3000(後のスーパーフォーミュラ)にも出場していた。
スポーツとの関係
沿革
1979年5月30日 - 電子応用ゲーム機器の開発・販売を目的として、大阪府松原市にアイ・アール・エム(IRM)株式会社として設立。
1981年
5月 - 子会社である日本カプセルコンピュータ株式会社を設立。
9月 - アイ・アール・エム株式会社が社名をサンビ株式会社に変更。さらに羽曳野市に本社を移転。
1983年
6月11日 - 販売部門を担当する会社として、大阪市平野区に株式会社カプコン(旧)を設立。7月には開発第1号機としてメダルゲームの『リトルリーグ』を発売。
10月 - 東京都新宿区に東京支店を設置。メダルゲーム『フィーバーチャンス』を発売。
12月 - 直営ゲームセンター「アクティ24」をオープン。
1984年
5月 - 第一作目として業務用ビデオゲーム『バルガス』を発売。
12月 - 業務用ビデオゲーム『1942』を発売。
1985年
5月 - 業務用ビデオゲーム『戦場の狼』を発売。
8月 - 米国カリフォルニア州にて米国法人である「カプコンUSA」を設立。
9月 - 業務用ゲーム『魔界村』を稼働。後にファミリーコンピュータにも移植し、こちらも大ヒット。
12月 - 家庭用テレビゲーム第一弾としてファミリーコンピュータ用ゲームソフト『1942』を発売。
1986年
6月 - ファミリーコンピュータ用ゲームソフト『魔界村』を発売。