カプコン
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連結: 2173億6500万円

単独: 2201億4400万円
(2023年3月31日現在)[2]
従業員数

連結: 3,332人

単独: 3,027人
(2023年3月31日現在)[2]
決算期3月31日
会計監査人有限責任あずさ監査法人[2]
主要株主

日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 15.74%

株式会社クロスロード 10.03%

ジェーピー モルガン チェース バンク 380815 8.26%

株式会社日本カストディ銀行(信託口) 5.43%

辻本美之 3.79%

辻本春弘 2.91%

辻本良三 2.90%

辻本憲三 1.90%

日本マスタートラスト信託銀行株式会社(株式付与ESOP信託口・76744口) 1.88%

SSBTC CLIENT OMNIBUS ACCOUNT 1.53%

(2023年3月31日現在)[2]

主要子会社

株式会社ケーツー 100%

株式会社エンターライズ 100% 他[2]

関係する人物

辻本良三(取締役専務執行役員)

岡本吉起(元・取締役

外部リンクwww.capcom.co.jp
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株式会社カプコン(: CAPCOM CO., LTD.[3])は、大阪府大阪市中央区内平野町に本社を置く主にアーケードゲームコンシューマーゲームの開発・販売を行う日本ゲームソフトウェアメーカーコンピュータエンターテインメント協会日本アミューズメント産業協会正会員。
概要

1979年、アイ・アール・エム(IRM)株式会社として設立した。1981年9月に「サンビ株式会社」に商号を変更し、本店を大阪府羽曳野市に移転した。

設立者はIPMの代表取締役だった辻本憲三で、当時のIPMはスペースインベーダーブームの際に社運をかけ、社名を冠した『IPMインベーダー』を発表するもののインベーダーの筐体の市場は1年ほどで飽和状態に陥いる。その状態で下請けから製造の継続を求められ断れなかった。結果10億円分の在庫を多く抱えてしまった[4]。IPMはアイレムと社名変更して仕切り直しを図ろうとする。辻本は同事業に続き、オリジナルゲームの製作に乗り出そうとする。しかし、当時まだコピーゲームがメインだったアイレムで辻本の意見は社内の理解が得られず、結果的に1983年2月3日 辻本を含む3人が退社した。この際インベーダー関連の在庫で被った負債を支払っている。

10億円の借金により自宅さえも売り払い燻っていた辻本は、タイトーの社長ミハエル・コーガンより「お金を出すからビジネスをやってみないか」と言われ、コーガンより1億5千万円を借り、それを元手に新規に会社を立ち上げることになり[5]、(旧)株式会社カプコンを設立した。なお、カプコンという社名は1981年5月にIRMの子会社として設立した「日本カプセルコンピュータ」に由来する。

オリジナルゲームを作ることを目的に設立されたが、当初は開発者こそ多く抱えたものの開発ラインが整わず、比較的安易に製作が可能だったエレメカメダルゲーム)で業界に参入する。ビデオゲームとしてはその翌年の1984年発売の業務用縦スクロールシューティングゲームバルガス』が第一弾となるが、その後コナミからの転職組藤原得郎岡本吉起により、名作と謳われるゲームが次々と開発され、徐々にゲーム会社としての知名度を上げていく。ただし、後の『ストリートファイターII』ブームが訪れるまで、経営的には火の車だったという[要出典]。

なお、グループの販売部門を担当する会社としての役割もあった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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