バール (bar) は、イタリア・スペインなどの南欧にある軽食喫茶店の事を差す。食事にも重点をおいたリストランテ・バールから、コーヒー中心のカフェ・バール、 アイスクリーム中心のジェラテリア・バールなど様々なものがある。
カウンターで立ち飲みするスタイルで、バリスタがエスプレッソやカプチーノなどを作って提供する。朝食をとったり仕事帰りに気軽に立ち寄って一杯飲んでいく。軽食(パニーノ)や夏場ならジェラートなどが用意されている店も多い。公衆電話やトイレを備えるため、休憩所にも利用される。バスや電車の乗車券、煙草、くじ(主にトトカルチョの)などを売るタバッキ(日本でのコンビニエンスストアに近い)や、雑貨店など他の商店を兼ねている店も多い。
語源はバー(同じ綴り。イタリアではラテン系読みになっているだけである。)に由来するが、バーのように酒類が主ではなく、喫茶や地域の情報交換場所として使用されている。夜は酒類も注文可能なことが多い。古くは男性のみが集まる場所であったが、女性の社会進出に伴い女性単独での利用も当たり前となった。テーブル席を別メニューとして高い料金をとる場合[注釈 3]が多く、カウンターに比べてあまり利用されない。
日本のカフェ近代建築を活用したカフェの例。
日本では、明治時代末の1911年、銀座にカフェー・プランタン、カフェーパウリスタ、カフェー・ライオンが一斉に開店した。このうちプランタンはパリのカフェのような芸術家の集まるサロンを目指して評判となったが、本場フランスのカフェでは男性が給仕をするのに対し、プランタンでは女給を置いた。パウリスタはボーイが給仕するコーヒー主体の店であったが、ライオンをはじめ、その後出店した多くのカフェーは女給を置き、コーヒーよりもアルコール類が主体であった。女給のいるカフェーはやがて風俗営業の業態に変質していき、コーヒー主体の店は喫茶店と称した。詳細は「カフェー (風俗営業)」を参照
1950年代になるとオープンスペースのカフェとは正反対のコンセプトである喫茶店が流行したが、コーヒーにこだわりのない喫茶店の多くは1980年代に衰退していった。また、ナイトライフの場として、1981年頃からカフェとバーを結合したカフェバーが台頭する。しかし、空間偏重の中途半端なコンセプトのもとに創られたカフェバーは、20世紀末にはほぼ消滅した[4]。
20世紀末以来、スターバックスなどアメリカ西海岸より、コーヒー豆のオリジナルロースティングで差別化を図るカフェスタイルが世界のカフェビジネスに波及し始める。日本のカフェもその影響から、バリスタと呼ばれる専門職によってデザインされたコーヒーを提供する店が増えている[5]。同様に、店舗の構造も開放的なバックヤードとテイクアウトカウンターを備えたカフェが主流となっている[4]。
日本では、ほぼ喫茶店など飲食のできるインターネットカフェやオープンカフェ[6][注釈 4]などのような業種の総称として使われている。
ギャラリー
路上に展開したオープンカフェの例(ベルギー・ブリュッセル市内)
海鮮品をメインに提供するスペイン風オープンカフェの例(ブリュッセル・グランプラス地区)
コリドールと歩道に展開したオープンカフェの例(神戸旧居留地)
屋内に展開したオープンカフェの例(横浜・みなとみらい地区)
テラスに屋外席を展開したカフェの例(オーストリア・ケルンテン州)
屋外に展開したカフェの例(六甲高山植物園)
脚注[脚注の使い方]
注釈^ Antonius Faustus Naironus