カフェ
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ウィーン
ウィーンのカフェ・ツェントラル (Cafe Central)もともとウィーンにコーヒーを飲む習慣を持ち込んだのはウィーンに攻め込んだオスマントルコ(オスマン帝国)の人々なのだが、そのオスマントルコ軍が第二次ウィーン包囲で敗れて去っていった時に、オスマン軍の陣営が保有していたコーヒー豆がポーランド・リトアニア共和国軍のイェジ・フランチシェク・クルチツキ(英語版)へ払い下げられ、軍を退役したクルチツキは1686年にウィーンで初めてのカフェ「青いボトルの下の家(英語版)」(ドイツ語: Hof zur Blauen Flasche)を開業したと言われる。その後、18-19世紀に店舗の数も増え、かつて文学者や芸術家が通ったという名物カフェが観光名所になっている。ウィーンのカフェはウィンナ・コーヒーを提供するという特徴がある。
ロンドン
ロンドンでは17世紀後半からコーヒー・ハウスが流行した。こちらの方がパリのカフェよりも歴史は古いが、後にはパブに取って代わられた。
パリ
現存するフランス最古のカフェ(cafe)がパリのカフェ・プロコップで1686年の創業。18世紀に入るころには300軒ほどのカフェがあり、フランス革命前には700軒ほどになっていたという。ルソーディドロといった思想家のほか革命家や政治家もカフェに集まり、議論を行ったり、密議をこらす場面が見られた。カフェはフランス人の生活に根付いており、ヴェルレーヌランボーマラルメピカソなどの文化人、芸術家が出入りしたドゥ・マゴ・パリも有名。路上に椅子やテーブルを置く開放された営業スタイルを始めたカフェは1856年の「カフェ・エルデール」が最初である。この営業慣習は第三共和政の頃に一般的になったが、「メゾン・ドレ」のようなブルヴァールに面したカフェは庶民や一見客用の表口とは別に、上流階級用の個室への裏口が設けられていた[3]
ヴェネツィア
サンマルコ広場の回廊には1720年創業のカッフェ・フローリアン (Caffe Florian)がある。カッフェ・フローリアンはCaffe Latte(カフェラッテ)の発祥店として有名で、1720年12月29日に創業、現在も同じ場所で営業している。当初はアッラ・ヴェネツィア・トリオンファンテ (Alla Venezia Trionfante) と名付けられたが、 現在では創業者フロリアーノ・フランチェスコーニ (Floriano Francesconi) の名をとって、フローリアンと呼ばれる。向かいの回廊にカッフェ・クアードリがある。1638年にレストランとして創業し、1775年にカッフェになったという。
イタリアのバール

バール (bar) は、イタリア・スペインなどの南欧にある軽食喫茶店の事を差す。食事にも重点をおいたリストランテ・バールから、コーヒー中心のカフェ・バール、 アイスクリーム中心のジェラテリア・バールなど様々なものがある。

カウンターで立ち飲みするスタイルで、バリスタがエスプレッソやカプチーノなどを作って提供する。朝食をとったり仕事帰りに気軽に立ち寄って一杯飲んでいく。軽食(パニーノ)や夏場ならジェラートなどが用意されている店も多い。公衆電話やトイレを備えるため、休憩所にも利用される。バスや電車の乗車券煙草くじ(主にトトカルチョの)などを売るタバッキ(日本でのコンビニエンスストアに近い)や、雑貨店など他の商店を兼ねている店も多い。

語源はバー(同じ綴り。イタリアではラテン系読みになっているだけである。)に由来するが、バーのように類が主ではなく、喫茶地域情報交換場所として使用されている。夜は酒類も注文可能なことが多い。古くは男性のみが集まる場所であったが、女性の社会進出に伴い女性単独での利用も当たり前となった。テーブル席を別メニューとして高い料金をとる場合[注釈 3]が多く、カウンターに比べてあまり利用されない。
日本のカフェ近代建築を活用したカフェの例。

日本では、明治時代末の1911年、銀座にカフェー・プランタンカフェーパウリスタカフェー・ライオンが一斉に開店した。このうちプランタンはパリのカフェのような芸術家の集まるサロンを目指して評判となったが、本場フランスのカフェでは男性が給仕をするのに対し、プランタンでは女給を置いた。パウリスタはボーイが給仕するコーヒー主体の店であったが、ライオンをはじめ、その後出店した多くのカフェーは女給を置き、コーヒーよりもアルコール類が主体であった。女給のいるカフェーはやがて風俗営業の業態に変質していき、コーヒー主体の店は喫茶店と称した。詳細は「カフェー (風俗営業)」を参照

1950年代になるとオープンスペースのカフェとは正反対のコンセプトである喫茶店が流行したが、コーヒーにこだわりのない喫茶店の多くは1980年代に衰退していった。また、ナイトライフの場として、1981年頃からカフェとバーを結合したカフェバーが台頭する。しかし、空間偏重の中途半端なコンセプトのもとに創られたカフェバーは、20世紀末にはほぼ消滅した[4]

20世紀末以来、スターバックスなどアメリカ西海岸より、コーヒー豆のオリジナルロースティングで差別化を図るカフェスタイルが世界のカフェビジネスに波及し始める。日本のカフェもその影響から、バリスタと呼ばれる専門職によってデザインされたコーヒーを提供する店が増えている[5]。同様に、店舗の構造も開放的なバックヤードとテイクアウトカウンターを備えたカフェが主流となっている[4]

日本では、ほぼ喫茶店など飲食のできるインターネットカフェやオープンカフェ[6][注釈 4]などのような業種の総称として使われている。
ギャラリー

路上に展開したオープンカフェの例(ベルギー・ブリュッセル市内)

海鮮品をメインに提供するスペイン風オープンカフェの例(ブリュッセルグランプラス地区)

コリドールと歩道に展開したオープンカフェの例(神戸旧居留地

屋内に展開したオープンカフェの例(横浜みなとみらい地区)

テラスに屋外席を展開したカフェの例(オーストリアケルンテン州

屋外に展開したカフェの例(六甲高山植物園

脚注[脚注の使い方]
注釈^ Antonius Faustus Naironusは17世紀のマロン派修道士で、ガルシュニ(英語版)文字で書かれたアラビア語新約聖書を編集した。
^ ラテン語で記されている。
^ レストランの閉店時間でもバールは開いていることがあり、テーブル席はそれに代わる役割もある。
^ 和製英語であり[7]、英語圏では outdoor cafe, open-air cafe, sidewalk cafe などと称する。

出典^ a b Larousse
^ a b 青山 2015, pp. 114?118.


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