1984年、イタリアのガゼボの名曲をカバーした「雨音はショパンの調べ」(小林麻美)がヒットし、3週連続オリコン1位となった。
1988年、薬師丸ひろ子が中島みゆきの「時代」をカバーし、ヒット[6]。続いて1989年、斉藤由貴が井上陽水の「夢の中へ」を、森高千里が南沙織の「17才」をカバーしそれぞれ大ヒット[6][7]。これをきっかけとして当時の若手歌手が過去のヒット曲をカバーすることが流行した[6][7]。
1980年代末?1990年代前半には、欧米のアーティストがJ-POPの楽曲をカバーしたいわゆる「逆カバー」がブームになった[8][9]。ブームのきっかけは1989年にレイ・チャールズがサザンオールスターズの「いとしのエリー」を「Ellie My Love」としてカバーしヒットしたことだとも[10]、1990年に発売されたA.S.A.P.が松任谷由実の楽曲をカバーしたアルバム『GRADUATION』がヒットしたことだとも言われる[9]。
1994年、中森明菜がカバーアルバム『歌姫』を発売、30万枚のヒット。2002年と2004年には続編も発表され、累計で100万枚を売り上げる[11]。
1997年頃から、往年の大スターの曲を聴いて育った世代のミュージシャンたちが、オリジナルを自身のアレンジで吹き込み直し、そのスターに捧げるという意味でのカバーバージョン集「トリビュート・アルバム」が増える[12]。
森山良子による1998年初出の楽曲『涙そうそう』(作曲:BEGIN)は、BEGIN自身によるシングル化を経て、夏川りみによる2001年のカバーに火がつき、JASRAC賞(著作権分配額を表彰する)で2004年度の銀賞となるなど、国民的に著名な楽曲となった。
2000年代初頭の日本の音楽業界では、CD不況の影響を受けてCDが売れないため、レコードを多く買っていた団塊の世代を狙った形での過去のヒット曲のカバーが非常に増えた。2000年代初頭の日本の音楽業界におけるカバーブームのきっかけとなったとされるのは、2001年に発売された井上陽水のカバーアルバム『UNITED COVER』である[4][13][14]。同年には坂本九の「明日があるさ」をウルフルズやRe:Japanらがカバーしてヒットさせた[14]。2002年にはヴィレッジ・シンガーズの「亜麻色の髪の乙女」を島谷ひとみがカバーしてヒットさせ、また様々なアーティストがカバーアルバムを発表[14]。さらにはテレビ東京で『カヴァーしようよ!』が放送された[14]。
2005年9月に発売された、徳永英明が女性アーティストの曲をカバーしたアルバム『VOCALIST』は、日本ゴールドディスク大賞『企画アルバム・オブ・ザ・イヤー』を受賞。『VOCALIST 2』『VOCALIST 3』『VOCALIST 4』も含めて大ヒットした。
2005年秋から翌年にかけ、映画『NANA-ナナ-』の劇中歌として大ヒットした伊藤由奈の『ENDLESS STORY』は、元々1993年のアメリカ映画「Indecent Proposal」(邦題:幸福の条件)の劇中歌“If I'm Not in Love With You”であったが、1998年のジョディ・ワトリーや1999年のフェイス・ヒルらによって相次いでカバーされていた楽曲である。
2000年代後半には、J-POPの楽曲をボサノヴァやレゲエ風のソフトアレンジでカバーしたアルバムが多く発売される。代表的なアーティストとしてSOTTE BOSSEがある[15]。
2006年、アリスターが日本向け企画アルバムとして発売した『Guilty Pleasures』がヒットし、欧米アーティストがJ-POPの楽曲をカバーした作品が再び注目されるようになる[16]。