「食人」、「人食い」という意味としては、ギリシア語の「アンスロポファギア(ανθρωποφαγ?α)」に由来する「アントロポファジー(anthropophagy、「人間」を意味する「anthropo-」と、「食べる」を意味する「-phagy」の合成語)」が忠実な語である。 習慣としてのカニバリズムは、大きく以下の2種類に大別される。 特定の社会では、対象の肉を摂取することにより、自らに特別な効果や力、または栄誉が得られると信じられている場合がある。しばしばその社会の宗教観、特にトーテミズムと密接に関係しており、食文化というよりも文化人類学・民俗学に属する議題である。自分の仲間を食べる族内食人と、自分達の敵を食べる族外食人に大別される[1]。 族内食人の場合には、死者への愛着から魂を受け継ぐという儀式的意味合いがあると指摘される。すなわち、親族や知人たちが死者を食べることにより、魂や肉体を分割して受け継ぐことができるという考えである。すべての肉体を土葬・火葬にしてしまうと、現世に何も残らなくなるため、これを惜しんでの行いと見ることができる。日本に残る「骨噛み」は、このような意味合いを含む風習と考えられる。また、約1万年以前の後期旧石器時代の欧州では、葬儀の習慣として死者の肉を食べる行為が一般的に行われていたというデータが存在する[2]。 なお人身供養と考えるか、葬制の一部と見るのかによって意味合いが変わってくるが、ニューギニア島の一部族に流行していたクールー病と呼ばれるプリオン病は、族内食人が原因でプリオンが増加したことが判明している。 族外食人の場合には、復讐のような憎悪の感情が込められると指摘される。また族内食人同様、被食者の力を自身に取り込もうとする意図も指摘される。代表例は各国で見られる戦場における人肉食である(兵糧の補給という合理的見地から行われた場合を除く)。ヨーロッパ人の探検隊が先住民族に捕らえられて食される逸話もこれに相当する。何もこれは未開地域の話ではなく、例えばジョン・ジョンスンは、妻を殺したインディアンに復讐した際、その肝臓を食べたという話が広まり、レバー・イーティング(肝臓食い)という渾名を付けられた。実際には、インディアンをナイフで殺した時、刃先に付着していた肝臓の欠片を食べる「ふり」をしただけともされるが、いずれにせよ、殺した相手の肉を食らうという逸話は、復讐を完了したことを象徴的に示しているとされた。 戦争によるカニバリズムは、首長制の集団のような比較的小規模な条件では高まり、国家と呼べる規模まで成長すると逆に禁止、縮小される傾向がある[3]。マーヴィン・ハリスは、戦争によるカニバリズムを許すと相手の降伏が望めなくなり、戦争後の統治や収奪が困難になるデメリットが大きいために、国家レベルの社会では戦争によるカニバリズムを禁止したとしている。 なお、タンパク質の供給源が不足しているあるいは過去に不足していた地域では、人肉食の風習を持つ傾向が高いという説がある。実際に、人肉食が広い範囲で見られた上述のニューギニア島は、他の地域と比べて家畜の伝播が遅く、それを補うような大型野生動物も生息していなかった。 こういった地域での族外食人には、もとは社会的意図がなかった可能性が示唆される。 死者の血肉が強壮剤や媚薬になるとする考えも欧州はじめ世界中に見られ、これは族内食人の一環として説明する研究者もいる。人間のミイラには防腐処理剤に瀝青・ハーブ・スパイスが用いられ一種の漢方薬として不老不死や滋養強壮の薬効があると信じられていて、主に粉末としたものが薬として飲用され、日本にも薬として輸出されていた。また中国や日本では肝臓、胆嚢、脳を薬として摂取していた(例:刀剣の試し斬り役山田浅右衛門の人胆丸)。現在でも胎盤は健康や美容のために食されたり、医薬品として加工される(胎盤#利用を参照)。 ジャック・アタリやレヴィ=ストロース、鷲田小彌太らは、臓器移植(他者の臓器を取り出して別人の体に移植する行為)はカニバリズムのカテゴリーに含まれると主張している[4]。臓器移植は経口摂取ではないものの、他人の体の一部を取り込む行為にはある種の不気味さを感じる人もあり、例えば吉本隆明は『私は臓器を提供しない』の中で、臓器移植には「人食いのイメージが強い」と記している[4]。 飢饉、戦争、食料不足による人肉食も世界各地に見られる。 生存のために他の人間の死体を食べた事例は、
分類
社会的行為としてのカニバリズム
社会的行為ではない(=単純に人肉を食す意味合いでの)カニバリズム
文化人類学による説明
薬用としての人肉食「ヒトに由来する生薬」および「胎盤食」も参照
緊急事態下での人肉食1921年、ロシア内戦期の大規模な飢饉における人肉食
1816年 メデューズ号遭難事故 - テオドール・ジェリコーによる絵画「メデューズ号の筏」で広く知られた。
1845年 ジョン・フランクリン探検隊遭難事故(フランクリン遠征)
1846年 ドナー隊遭難事故 - 後述。