カトリック教会
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現代の聖人たちは信徒の信仰生活や使命に関しては次のように語っている:「あなたがキリストを尋ね、キリストに出会い、キリストを愛するように」(聖ホセマリア・エスクリバー『道』382)[25]。同様、 教皇ヨハネ・パウロ二世によると、「信徒は聖性への召し出しに気づき、何よりも拒むことのできない義務としてそれを生きなければ」ならない(『信徒の召命と使命』17)。
司教会議

地域の司教たちは定期的に会合を開いて、様々な問題について討議する。これを司教会議シノドス)という。シノドスでは典礼などの問題に関しては決議することが出来るが、特定の司教の処遇に関してなどの決議のためには、有資格司教の3分の2以上の同意と教皇庁の裁可が必要とされている。

世界司教会議について、教皇フランシスコは2023年から構成や運営方法を改革することを決めた。司教以外に教皇が一般信徒など70人を選んで半数は女性とするほか、これとは別に修道女5人が参加し、いずれも投票権を行使できる[26]

現代では従来の聖職者至上主義の修正が図られていて、「神の民の教会論」により、全ての信徒がキリストの祭司職にあずかっていて教会の宣教活動、典礼活動、司牧活動を遂行する者であるとされている。この信徒の使命は「信徒使徒職」と呼ばれている[27]
公会議

カトリック教会では、以下に列挙した21の公会議に特別な権威を付与している。

第1ニカイア公会議

第1コンスタンティノポリス公会議

エフェソ公会議

カルケドン公会議

第2コンスタンティノポリス公会議

第3コンスタンティノポリス公会議

第2ニカイア公会議

第4コンスタンティノポリス公会議

第1ラテラン公会議

第2ラテラン公会議

第3ラテラン公会議

第4ラテラン公会議

第1リヨン公会議

第2リヨン公会議

ヴィエンヌ公会議

コンスタンツ公会議

フィレンツェ公会議

第5ラテラン公会議

トリエント公会議

第1バチカン公会議

第2バチカン公会議

公会議の位置付けはキリスト教各教派によって異なっており、東方正教会ギリシャ正教)では最初の7つの公会議のみを認めており、東方諸教会のうち非カルケドン派では最初の3つのみを認めている。さらにネストリウス派の諸教会(アッシリア東方教会など)は最初の2つしか認めていない。

特に第2バチカン公会議は、現代のカトリック教会の方向性を大きく変えた重要な公会議だったといえる。この公会議を機にカトリック教会は典礼の改革を行い、エキュメニズムの推進を目標に掲げた。カトリック教会は、この第2バチカン公会議において「本人の側に落ち度がないままに、キリストの福音と教会を知らずにいて、なおかつ、誠実な心を持って神を求め、良心の命令を通して認められる神の意志を、恩恵の働きのもとに、行動をもって実践しようと努めている人は、永遠の救いに達することができる」という従来とは異なる見解を示した[28]
教義についての他教派との関係

カトリック教会では、1054年正教会との分裂(東西教会の分裂)や、それよりもはるかに古いエフェソ公会議カルケドン公会議における分裂であっても、実際に分裂の直接の原因となったのは、本質的なことではなく些細な教義論争であると捉えている。それをよく示すのは、1994年11月に発布された『キリスト理解におけるカトリック教会とアッシリア東方教会の共同宣言(英語版)[29]』である。これはカトリック教会の教皇ヨハネ・パウロ2世アッシリア東方教会総主教マル・ディンハ4世(英語版)の間で調印された。アッシリア東方教会とカトリック教会の分裂は、431年のエフェソ公会議で争われた「テオトコス論争」という聖母マリアの称号をめぐる論争が原因となっている。これは「神の母」と「キリストの母」という称号のどちらが正しいかということが論議となったものである。『共同宣言』では「どちらの呼び方も同じ信仰を表明したものであり、両教会は互いの典礼と信心を尊重する」と述べている。

さらに難しいのは正教会との合同問題である。カトリック教会側では、カトリック教会と正教会が合同するためには、教義の問題よりも互いの伝統に関する問題が大きな障害となっていると考えている。たとえば、ローマ教皇の首位権をどう評価するかという問題や、互いの典礼や信心における差異をどう尊重しあうかという問題になっているとする。一方、正教会の側からは、対立はフィリオクェ問題という基本的教義の不一致にあり、首位権や不可謬権の問題もたんなる伝統の問題ではなく教義上の問題と捉えている(アメリカ正教会の研究版新約聖書では、一致の主な障害を、フィリオクエ問題と教皇不可謬権であると指摘している)。また東方側からは十字軍問題や東方布教などのカトリックからの姿勢に対する反発もある。カトリック教会で用いられる「教導権」という言葉は、信徒を教え導く権威のことを示している。この権威は神学者のものではなく、司教たちのものである。カトリックの理解では、人々がある教えを自分勝手に理解すると必ず矛盾や対立が生じることになると考える。ユダヤ人の教育において、指導者がトーラーを声に出して読みながら、覚えさせるという伝統があるが、これはヘブライ語の文章は母音が表記されていないため、様々な読み方が可能であったためだが、そこにおいては口伝が文章を確定させる。これがカトリック教会が聖書と同様に聖伝(聖なる伝承)を尊重することのたとえとして用いられる。

カトリック教会と、プロテスタントの諸教会との間での教義的な差異は、東方教会よりさらに大きい。プロテスタントは、カトリック教会が使徒本来の教えを歪めてきたと考えてきた。一方カトリック教会側は、2007年の『教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答』において「16世紀の宗教改革から生まれたキリスト教共同体(プロテスタント)は、使徒継承による司祭職の秘跡を欠くため、カトリックの教えによれば、固有の意味で『教会』と呼ぶことはできない」としている[30]

他方、エキュメニズム(教会合同運動)の進展が皆無というわけではなく、たとえば日本聖書協会によって1987年昭和62年)に刊行された『新共同訳聖書』は、日本におけるカトリック関係者とプロテスタント諸派の関係者らの共同作業によって翻訳され編集されたものである(ただし新共同訳聖書に日本正教会は参加していない)。また日本におけるカトリック教会では、2000年平成12年)2月15日から日本聖公会と同じ「主の祈り」の日本語翻訳が使用されている[31]
日本におけるカトリック教会詳細は「日本におけるカトリック教会」を参照
カトリック教会での事件

2010年3月、『ニューヨーク・タイムズ』が、ベネディクト16世自身が枢機卿在任時代、司祭による虐待事件をもみ消していたという疑惑を報じたことにつき教皇側が強く反発したことから、同年3月28日には英国首都ロンドンで教皇の退位を要求する抗議デモが行われた。


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