楽譜や歌本はレコードよりも安価であったことから、1914年9月段階で楽譜は7万8000部売れ『鉄道唱歌』以来の売れ行きとなり、赤本や歌本も含めると総発行部数は14?5万部に達する勢いであると『読売新聞』1914年9月13日付で報じられた[15]。 この流行は、全国の高等女学校、中学校、女子専門学校、高等学校の学生までにも及んだ。そして、生徒たちに『復活』の観劇を禁じる学校が相次いだ。当時は第一次世界大戦が開戦するかどうかであった時代背景も影響している[17]。 さらに第三高等学校では生徒たちが頻繁に歌っていたために歌唱の禁止令が出たと『読売新聞』1914年6月17日付[18]、『九州日日新聞』1914年6月27日付[19]で報じられた。また『萬朝報』1914年8月11日付でも、東京の女子専門学校で歌唱禁止令が出たと報じている[19]。 カチューシャの唄 『カチューシャの唄』(カチューシャのうた)は、1914年(大正3年)製作公開の日本の短篇映画である。芸術座の演劇、ならびに同楽曲を題材に日本キネトフォンが製作・配給を行った[20]。松井須磨子が同年3月の芸術座での『復活』で使用した舞台装置を背景に、同名の挿入歌を歌う姿を撮影した[20]。ミュージック・ビデオ的フィルム作品である。同年8月1日、浅草の日本座 本作は、トーマス・エジソンの発明したキネトフォンを採用した日本におけるトーキーの最初期の作品で、サイレント映画に蓄音機を連動させたものである[21]。本格的トーキーが出現するのは10年後である。 1914年(大正3年)には日活向島撮影所が『カチューシャ』という題名の映画を製作した[22]。原作はレフ・トルストイ、脚本は桝本清、監督は細山喜代松、主演のネフリュードフ役は関根達発、カチューシャ役は女形の立花貞二郎であった[22]。 芸術座の演劇を参考にして桝本が脚色した[22]。同作は、日活向島撮影所が始まって以来のヒット作となり、行き詰まっていた経営を乗り越えることが出来た[22]。『後のカチューシャ』、『カチューシャ続々篇』(いずれも監督細山喜代松、1915年)、『復活』(監督田中栄三、1919年)と続編が3本製作・公開された[22]、いずれも第1作同様に原作とは異なり、第3作にはネフリュードフが来日して泉岳寺の赤穂浪士の墓前で大石内蔵助と握手をする場面も登場した[要出典]。
学生への観劇・歌唱禁止令
映画
監督不明
脚本島村抱月
原作レフ・トルストイ
出演者松井須磨子
音楽中山晋平
主題歌松井須磨子「カチューシャの唄」
製作会社日本キネトフォン
配給日本キネトフォン
公開 1914年8月1日
製作国 日本
言語日本語
テンプレートを表示
1914年 キネトフォン版
スタッフ・作品データ・キャスト
監督: 不明
脚本: 島村抱月
原作: レフ・トルストイ
作曲: 中山晋平
歌・出演: 松井須磨子
撮影・制作: 岡部芳郎
製作: 日本キネトフォン
上映時間(巻数): 不明(短篇)
フォーマット: 白黒映画 - スタンダードサイズ(1.33:1) - 蓄音機連動式トーキー
公開日: 日本 1914年8月1日
配給: 日本キネトフォン
初回興行: 浅草・日本座
1914年 日活版