カタルーニャ州
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2010年代の域内総生産はアイルランドフィンランドポルトガルを上回り、デンマークに匹敵する[10][14]。2014年のカタルーニャ州の域内総生産(GRP)は1997億9700万ユーロであり、スペインの17自治州中第1位だった[94]。1人あたり域内総生産は26,996ユーロ/人であり、マドリード州(31,004ユーロ)とバスク州(29,683ユーロ)とナバーラ州(28,124ユーロ)に次いで17自治州中第4位だった[95]。この年の域内総生産成長率は1.4%だった[95]
第一次産業

主要な産業は工業、観光業、農業、漁業である[12]。伝統的な農業には、輸出品としてのブドウ、アーモンド、オリーブ栽培や、ワイン、オリーブオイル生産、内部需要向けのコメ、ジャガイモ、トウモロコシ栽培がある[2]。今日では耕地面積が大きく減少している上に、伝統的作物のオリーブやブドウの畑が、都市で消費される果実や野菜の畑に取って代わっている[2]。ブタやウシの畜産は盛んになっている[2]。カタルーニャ州沿岸の地中海では多様な魚類が獲れることで知られており、これはカタルーニャ州に著名なレストランが多いことの一因となっている[12]
第二次産業

カタルーニャの織物業が初めて文献に登場するのは1283年から1313年の間であり、織物業は長らくこの地域の主産業であり続けた[2]。19世紀のカタルーニャでは産業革命が起こり、19世紀半ばには「スペインの工場」となった[40]。特に綿工業を中心とする繊維工業が栄えたものの、バスク地方と違って石炭・鉄鉱石の天然資源を欠いたため、製鉄業や造船業などの重工業は発展しなかった[40][44]。スペイン初の労働組合はカタルーニャで誕生している[44]。バルセロナは製紙、グラフィックアート、化学、金属加工が卓越しており、織物業の中心はサバデイやタラサである[2]。バルセロナには日本の自動車会社である日産自動車の工場がある[2]。カタルーニャで石油の需要が増加したことで、タラゴナの石油精製所が拡張された[2]
第三次産業

スペイン初の高速自動車道路は、フランスのペルピニャンとバルセロナを結ぶ道路だった[96]。夏季にはイギリスや北ヨーロッパから地中海岸のコスタ・ブラバなどに多くの観光客が押し寄せる[12]ピレネー山脈はウィンタースポーツや登山などが人気である[12]。2012年には観光税の徴収を開始した[97]。この税収は観光促進や観光関連インフラの充実に使用される[97]
社会
人口カタルーニャ州の人口分布図

14世紀末のカタルーニャ地方の人口は約45万人と推定されており、18世紀初頭までほぼ変化がなかったとされているが、18世紀以後に大きく変化した[98]。1787年のカタルーニャの人口は87万人だったが、1857年には165万人となり、スペイン全土に占める比率も7.8%から10.7%に増加した[40]。19世紀前半にはまだ国内移民は多くなく、基本的には産業革命の進行による自然増によるものである[40]。1900年には196万人(スペイン比10.5%)だったが、アラゴン・バレンシア・ムルシア・アルメリアなどからの国内移民が増加した結果、1930年には279万人(同11.8%)まで増加した[99]。バルセロナではこの30年間に人口が倍増して100万都市となったが、その影響で都市環境の悪化に悩まされている[99]。スペイン内戦とその後の混乱で人口の伸びが停滞し、1950年の人口は324万人だったが、1960年代以降の経済成長で大量に国内移民を受け入れたことで、1975年には566万人にまで急増した[100]。1961年から1975年の間に、アンダルシア地方などからカタルーニャに95万人が流入している[55]。1970年にはカタルーニャの人口の38%が非カタルーニャ人であり、乱開発、インフラや公共サービスの不足、公害などの生活環境の悪化につながった[55]

民主化後の1980年代にはカタルーニャ経済が低迷し、1981年には595万人、1991年には605万人と、人口の伸びは低調だった[60]。1990年代にはEU外からの移民が増加し、2003年の外国人居留者は約40万人(6%)に上っている[61]。2003年時点での国籍別ではモロッコ人(30%)、エクアドル人(6%)、ペルー人(4.6%)の順に多く、地域としてはラテンアメリカ諸国、北アフリカ、アジア諸国からの移民が多い[12]。2008年のカタルーニャ州の人口は7,354,411人であり、そのうちの移民の比率は12.3%であった。面積2,268km2のバルセロナ都市圏には3,327,872人が暮らし、バルセロナの中心部から半径15km以内に約170万人が暮らしている[101][102]。カタルーニャの人口は沿岸部に偏っており、内陸部の人口は減少傾向にある[2]
言語カタルーニャ語最古の文書(1080年-1095年)

カタルーニャの固有言語はカタルーニャ語であり、カタルーニャ語はスペイン語よりもフランス語イタリア語に近い言語である[67]。バルセロナを含むカタルーニャ州東部では主にカタルーニャ語中部方言が、カタルーニャ州西部では主にカタルーニャ語北西部方言が話され、標準カタルーニャ語は中部方言に基づいている[103]。カタルーニャ州でカタルーニャ語を理解する住民は約95%、話したり書いたりできる住民は約75%であるが、カタルーニャ語を母語としている住民は約30%、「自分の言語」としている住民は50%弱である[104]。ピレネー山中にあるアラン谷ではオック語の一つでガスコーニュ語の方言であるアラン語が話されており、2010年にはスペイン語とカタルーニャ語に加えてアラン語もカタルーニャ州全体の公用語に規定された[105]
言語の歴史

9世紀にはこの地域のラテン語の文章の中にカタルーニャ語の特徴を持った単語や表現が現れ、11世紀末にはカタルーニャ語で書かれた文章が登場した[103]。13世紀にはアラゴン=カタルーニャ連合王国がバレンシア地方やバレアレス諸島を征服して今日のカタルーニャ語圏に近い地域が統一され、「カタルーニャ語の父」ラモン・リュイなどがカタルーニャ語の成熟に貢献した[103]


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