順位基礎自治体県人口 カタルーニャ地方に残る最古の人類の痕跡は、トータヴェル(現フランス・ピレネー=オリアンタル県)近郊のアラゴ洞窟
(2010年)
1バルセロナバルセロナ県1,619,337
2ルスピタレート・ダ・リュブラガートバルセロナ県258,642
3バダローナバルセロナ県218,886
4タラサバルセロナ県212,724
5サバデイバルセロナ県207,338
6タラゴナタラゴナ県140,184
7リェイダリェイダ県137,387
8マタローバルセロナ県122,905
9サンタ・クローマ・ダ・グラマネートバルセロナ県120,060
10レウスタラゴナ県106,622
リェイダ県の県都リェイダ
タラゴナ県の県都タラゴナ
ジローナ県の県都ジローナ
歴史詳細は「カタルーニャの歴史」を参照
先史時代・古代・中世
紀元前8世紀から紀元前6世紀には、ギリシア人がロザスに植民市を建設し、ポカイア人がアンプリアスを建設している[24]。ローマ人はカルタゴ人と衝突して地中海沿岸で領土争いを繰り広げた[25]。紀元前216年にはローマがエブロ川以北の土地を占領してタラコ(現・タラゴナ)を建設[25]。イベリア半島の北半分にヒスパニア・キテリオル属州(共和政ローマ期)を設置してローマ化を進め[25]、バルキノ(現・バルセロナ)などの植民市を建設した[25]。タラコはヒスパニア・タラコネンシス属州(帝政ローマ期)の首都となり、ローマ支配下のイベリア半島でもっとも重要な都市だった[25]。3世紀以後には北方からフランク族などがタラコネンシス属州に侵入[26]、480年以降には西ゴート族がカタルーニャを含むイベリア半島を占領し[26]、589年にはイベリア半島が統一されて西ゴート族の中央集権国家が誕生した[26]。
711年にイベリア半島に侵入したイスラーム教徒はわずか数年間でカタルーニャを征服した[27]。リュブラガット川以北の「旧カタルーニャ」ではイスラーム教徒の支配期間は100年間にも満たなかったが、リュブラガット川以南の「新カタルーニャ」は12世紀半ばまでイスラーム教徒の支配下にあった[26]。8世紀末から9世紀初頭には旧カタルーニャがフランク王国に編入され、795年にはイスラーム勢力に対する緩衝地帯の役割を果たすスペイン辺境領が設置された[28]。878年にはギフレー1世(スペイン語版)(多毛伯)がバルセロナ伯に任ぜられ、後の歴史家はギフレー1世がカタルーニャの初代君主であると考えている[28]。ギフレー1世はその子孫がバルセロナ伯を継承する世襲制を確立させ、この王朝は1412年まで続いた[28]。987年にはカタルーニャ君主国が生まれており、カタルーニャが主権への道を歩み出したのはこの1000年頃であるとされる[28]。 カタルーニャ君主国には封建制が定着していき、他のキリスト教勢力とともにレコンキスタ(国土回復運動)に関与した[29]。1153年にはカタルーニャ君主国の境界がエブロ川まで南下した[29]。1137年にはアラゴン=カタルーニャ連合王国と呼ばれる同君連合が成立したが[29]、「カタルーニャ」という名称が初めて文献に登場するのはこの時代である[29]。1147年にはアリカンテまでの地中海沿岸がカタルーニャの土地となり、ラモン・バランゲー4世はイベリア半島でもっとも強大な権力を持つ君主となった[29]。アラゴン=カタルーニャ連合王国の最大版図(1443年) 以後のバルセロナ伯はピレネー山脈以北への進出も試みている[30]。
カタルーニャ君主国