1504年にイサベルが死去すると、ハプスブルク家に嫁いでいた娘フアナが女王に即位、フェルナンド5世が摂政となった。1515年、ナバラ王国を併合し、イベリア半島はカスティーリャ=アラゴン連合王国(すなわちスペイン王国)とポルトガル王国の2ヶ国となった。
新大陸詳細は「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」を参照
1492年、クリストファー・コロンブスが西インド諸島に到達。1494年にポルトガルとの間で締結されたトルデシリャス条約に基づき、カスティーリャ王国は、アメリカ大陸をその領土にする。 フェルナンド5世が死去すると、孫のカルロス1世がアラゴン、カスティーリャ両王に即位する。これにより、ハプスブルク朝スペインが成立する。ただしこの時点では、カスティーリャ王国はスペインを構成する国の1つとして、政治的に独自性を保持し続けた。カスティーリャ王国がスペイン王国に糾合され正真正銘消滅するのは、スペインが没落し、スペイン継承戦争を経てブルボン朝スペインが成立した後、フェリペ5世の時代に、遅まきながら国内の中央集権化が実施されたときであった。
スペイン王国
参考文献
D.W.ローマックス著、林邦夫
立石博高編『新版 世界各国史16 スペイン・ポルトガル史』(山川出版社、2000年、ISBN 4-634-41460-0)
関連項目
カスティーリャ君主一覧
カスティーリャ家
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