人種差別や女性差別、性的マイノリティの差別は、60年代のカウンターカルチャームーブメントによって社会のメインストリームの座を譲った。また、旧来のキリスト教(特にカトリック)による婚前交渉や離婚の禁止など厳格な性の規範は跡形もなく消え去り、自由恋愛が社会のメインストリームとなった。しかし、ドラッグの推奨などは中毒などの危険性もあり、メインストリームにはなり得ず、今でも反社会的と見なされている。言論の自由も今ではメインストリームだが、ヘイトスピーチや猥褻なスピーチ(タブー)などは今でも公言が憚られるアンダーグラウンドなところがある。
カウンターカルチャー運動は、ポピュラー音楽や映画、現代美術にも影響を及ぼした。当時のアメリカ社会におけるカウンターカルチャーの旗手としては、ティモシー・リアリー、ラルフ・ネーダー、ジョン・レノン、ニール・ヤング、グレイトフル・デッド[8]、フランク・ザッパやヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどがあげられる。
1969年のウッドストック・フェスティヴァルには、30組以上のロック・ミュージシャンなどが出演し、入場者は40万人以上集まり、フリーラブ&ピースそしてドラッグなど当時のカウンターカルチャーを反映した。また、1997年にはカウンターカルチャーの殿堂が設立され、アレン・ギンズバーグらだけでなく、ボブ・マーリィやピーター・トッシュ、チーチ&チョンまでが殿堂入りしている[9]。
しかし、やがてカウンターカルチャー世代は大人になり、社会の中枢になった。仮想敵であったハイカルチャーも失墜した。21世紀の若者にとって彼らの「カウンターカルチャー」は権威に他ならず、その意味を喪失していった[10][11]。アメリカ合衆国の大学英文科はマイノリティ文学に偏重するようになり、人気も凋落している[12]。
関連する社会運動
ウッドストック
ブラック・パワー運動
ベトナム反戦運動
ウーマンリブ
ゲイ解放運動
アメリカインディアン運動
フリースクール運動
スチューデント・パワー運動
日本のカウンターカルチャー
歌声喫茶やうたごえ運動などの、旧来の健全で保守的な左派に対する反発が、新左翼、ヒッピーなどのカウンターカルチャーに結びついた側面もある。例えばジャズ喫茶は1960年代のカウンターカルチャーの拠点にもなった。日本のカウンターカルチャーを象徴したものとしては寺山修司の天井桟敷を中心としたアングラ演劇[13]や、反戦フォーク、ロック、70年安保反対のデモなどがあった。
主なカウンターカルチャーの人物、グループ
モハメド・アリ(ボクサー、良心的異端者)
ソウル・アリンスキー(作家、活動家)
ジョーン・バエズ(ミュージシャン、活動家)
スチュワート・ブランド(環境主義者、作者)