カウンターカルチャー
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1960年代のアメリカやヨーロッパを起点として、西側社会(主に資本主義システム)、旧来のキリスト教社会(同性愛、自由な性行為、離婚、中絶の禁止、厳しいものは自慰、避妊も禁止、多神教への不寛容と軽蔑、人間中心主義)に対する文化的な対抗、権威主義家父長制、男性中心主義、国家主義、警察の暴力、戦争、徴兵、パワハラ)や保守主義女性差別人種差別、他文化への不寛容、民族主義)、エスタブリッシュメント、政治家、資本家・大企業(商業主義、金欲主義、弱者搾取、自然破壊)への反発などの抵抗は、ヒッピーなどの若者を中心にしたカウンターカルチャーとして発展した[7]。彼らが唱えた価値観は、価値・文化多元主義、東西の宗教を融合したニューエイジ宗教、社会主義的平等、自由恋愛(と性行為)、マイノリティの尊重、フェミニズムLGBT性的マイノリティ)の受容、ドラッグの合法化、自然との調和・エコロジーなどである。

人種差別女性差別性的マイノリティの差別は、60年代のカウンターカルチャームーブメントによって社会のメインストリームの座を譲った。また、旧来のキリスト教(特にカトリック)による婚前交渉や離婚の禁止など厳格な性の規範は跡形もなく消え去り、自由恋愛が社会のメインストリームとなった。しかし、ドラッグの推奨などは中毒などの危険性もあり、メインストリームにはなり得ず、今でも反社会的と見なされている。言論の自由も今ではメインストリームだが、ヘイトスピーチや猥褻なスピーチ(タブー)などは今でも公言が憚られるアンダーグラウンドなところがある。

カウンターカルチャー運動は、ポピュラー音楽映画現代美術にも影響を及ぼした。当時のアメリカ社会におけるカウンターカルチャーの旗手としては、ティモシー・リアリーラルフ・ネーダージョン・レノンニール・ヤンググレイトフル・デッド[8]フランク・ザッパヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどがあげられる。

1969年のウッドストック・フェスティヴァルには、30組以上のロック・ミュージシャンなどが出演し、入場者は40万人以上集まり、フリーラブ&ピースそしてドラッグなど当時のカウンターカルチャーを反映した。また、1997年にはカウンターカルチャーの殿堂が設立され、アレン・ギンズバーグらだけでなく、ボブ・マーリィピーター・トッシュチーチ&チョンまでが殿堂入りしている[9]

しかし、やがてカウンターカルチャー世代は大人になり、社会の中枢になった。仮想敵であったハイカルチャーも失墜した。21世紀の若者にとって彼らの「カウンターカルチャー」は権威に他ならず、その意味を喪失していった[10][11]。アメリカ合衆国の大学英文科はマイノリティ文学に偏重するようになり、人気も凋落している[12]
関連する社会運動


ウッドストック

ブラック・パワー運動

ベトナム反戦運動

ウーマンリブ

ゲイ解放運動

アメリカインディアン運動

フリースクール運動

スチューデント・パワー運動

日本のカウンターカルチャー

歌声喫茶うたごえ運動などの、旧来の健全で保守的な左派に対する反発が、新左翼、ヒッピーなどのカウンターカルチャーに結びついた側面もある。例えばジャズ喫茶は1960年代のカウンターカルチャーの拠点にもなった。日本のカウンターカルチャーを象徴したものとしては寺山修司天井桟敷を中心としたアングラ演劇[13]や、反戦フォーク、ロック、70年安保反対のデモなどがあった。

主なカウンターカルチャーの人物、グループ

モハメド・アリ(ボクサー、良心的異端者)

ソウル・アリンスキー(作家、活動家)

ジョーン・バエズ(ミュージシャン、活動家)

スチュワート・ブランド(環境主義者、作者)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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