カイリー・ミノーグ
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代表曲に「ラッキー・ラヴ」「ロコモーション」「熱く胸を焦がして」「パダム・パダム」、日本ではWinkもカバーした「愛が止まらない ?ターン・イット・イントゥ・ラヴ?」などが有名。
来歴
1968-1992:誕生からPWL時代

1968年5月28日、オーストラリアメルボルンで生まれた。父親のロナルド・チャールズ・ミノーグ(Ronald Charles Minogue)は会計士アイルランド系、母親のキャロル・ミノーグ(Carol Minogue)はウェールズ系。妹のダニーの他に、末弟のブレンダン・ミノーグの5人家族。

1980年、オーストラリアのTV番組『スカイウェイズ』に子役として出演した。

1986年2月24日から、オーストラリアの人気ドラマ『ネイヴァーズ』にシャーリーンの役で出演し人気を博した。

1987年3月、人気女優としてオーストラリアの『ロギー・アワード』銀賞を獲得した。

同年7月、オーストラリアのマッシュルームレコードから、リトル・エヴァ(Little Eva)のカバー曲「ロコモーション」でデビューした。カイリーのカバー曲は、ビルボード(Billboard)誌の週間チャートにおいて1988年11月12日付で最高位の第3位まで上昇した。1988年年間チャートでは第51位だった。ビルボード誌の集計では2012年現在までにおけるカイリー・ミノーグ最大のチャートヒットである。本国オーストラリアでは7週連続1位の大ヒットとなった。

1988年1月、イギリスとオーストラリアでセカンドシングル(“世界デビュー曲”と呼ばれることも多い)「ラッキー・ラヴ」を発売し、イギリスのヒットチャートで6週連続1位を記録。「ラッキー・ラヴ」は、イギリスの「ユーロビート」のヒットメーカーチームであるストック・エイトキン・ウォーターマン(Stock-Aitken-Waterman)のプロデュースで、発売したレコード会社も彼らのレーベルPWLである。同年7月にはデビューアルバム『ラッキー・ラヴ』(全英1位初登場、全英年間売上第1位)を発表、全英チャート初登場から8週連続1位を独走する大ヒットとなった。アルバムからは「恋は急がず」、「涙色の雨(ジュ・ヌ・セ・パ・プークワ)」など大ヒットを連発。また、日本では「愛が止まらない ?ターン・イット・イントゥ・ラヴ?」がデビューアルバムから独自にシングルカットされ、当時絶大な人気を誇っていたアイドルWinkがカバーした相乗効果もあり大ヒットした。

1989年、2ndアルバム『エンジョイ・ユアセルフ』を発表、アルバムは2作連続の全英1位に輝いた。

同年にはスクリーンデビュー作「恋に走って」に主演し、オーストラリア、イギリスで大ヒットとなり、カイリーが担当した主題歌「ティアーズ・オン・マイ・ピロー」も大ヒットした。日本では劇場未公開だが映像作品化されている。

1990年、3rdアルバム『リズム・オブ・ラヴ』を発表、翌年には4thアルバム『あなたも、M?』を発売した。

1992年、初のベストアルバムとなった『グレイテスト・ヒッツ』(全英1位初登場)を最後にカイリーはデコンストラクションへと移籍する。
1994-1998:デコンストラクション時代

1990年代以降、アイドル路線から歌唱力に比重を置いたプロモーションに変更したが、人気は逆に低迷してしまう。この間にアメリカ映画ストリートファイター』(1994年)にキャミィ役で出演する。この映画ではほぼスタントなしでアクション演技を披露した。

1994年、5thアルバムとなる『カイリー・ミノーグ』(全豪3位初登場、全英4位)を発表。アルバム名に自分の名前を冠したこの作品はカイリーの再デビューとでもいうべき、記念碑的な作品となる。

1997年にはデコンストラクションでの第二作目となる『インポッシブル・プリンセス』(全豪4位、全英10位)を発表した。この作品はインディーロックやトリップホップなどを盛り込んだ野心的な作品となった。しかしシングル・ヒットも出ずアルバム自体の売り上げも大きく伸び悩んだ。そしてカイリーは再度移籍することとなる。
1999-2005:パーロフォンへの移籍と『フィーヴァー』の大成功

1999年、EMI傘下のパーロフォンに移籍。自身のアルバム発表に先駆け、同じくパーロフォン所属のペット・ショップ・ボーイズの楽曲"In Denial"(アルバム『ナイトライフ』収録)にゲスト参加する。

2000年、移籍後初のアルバム『ライト・イヤーズ』を発表。リードシングル「スピニング・アラウンド」が10年ぶりに全英シングルチャートで1位を獲得し劇的な復活を遂げ、「オン・ア・ナイト・ライク・ディス」(全英2位)やロビー・ウィリアムズとの「キッズ」(全英2位)など後続のシングルカットも次々ヒットして第2の黄金期を創出する。また、「スピニング・アラウンド」のミュージック・ビデオで見せたゴールドのホットパンツや、同年オーストラリアで開催されたシドニーオリンピックの閉会式での歌唱も話題となった。

追い風に乗ったカイリーは2001年にアルバム『フィーヴァー』を発表。リードシングル「熱く胸を焦がして」は全英1位に輝いたのみならず世界中でナンバーワンを獲得、約100万枚と彼女のキャリア史上最大のセールスを挙げた。そして、このシングルは2001年で世界一の売り上げを記録した[4]。また、2002年に入ってアメリカでも大ヒット(ビルボードでは最高7位、ダンスチャートでは初の1位に輝いた)。さらに「フィーヴァー」は全英アルバムチャートで9年ぶりの首位を獲得するだけでなく、全米でも3位まで上昇するなどデビュー当時を上回る人気を獲得した。カイリーのアルバムが全米ビルボードのアルバムチャートTOP3にチャートインするのはこれが初であった。このアルバムからは他にも「イン・ユア・アイズ」(全英3位、豪州1位)、「ラヴ・アット・ファースト・サイト」(全英2位、全米ダンスチャート1位)などのヒットが生まれた。

同年、同じオーストラリア出身のバズ・ラーマン監督の『ムーラン・ルージュ』にアブサン妖精 "The Green Fairy" として登場。『サウンド・オブ・ミュージック』を歌った。

2003年、9枚目のアルバム『ボディ・ランゲージ』を発表。先行シングル「スロウ」は自身7曲目の全英1位となった。

2004年、『フィーヴァー』から最後のシングルとしてカットされていた「カム・イントゥ・マイ・ワールド」でグラミー賞 "Best Dance Recording部門" を受賞。

この年には自身のキャリアを総括したベスト・アルバム『コンプリート・ベスト』が発売された。
2005-2010:乳癌克服からキャリア初の北米ツアー

2005年3月から「ショーガール:ザ・グレイテスト・ヒッツ・ツアー」を開始。

2005年5月、ツアーの最中に乳癌が発覚し、地元メルボルンでの闘病生活を強いられたものの、早期発見が幸いし、半月ほどで治療に成功した。退院後は、ガンとの闘病生活を送る子供たちを見舞うために病院を訪れるなどの活動を行った。

2006年11月、シドニーを皮切りに「ショーガール:ホームカミング・ツアー」とタイトルを変更,全衣装や一部曲目なども変更してツアーを再開。2007年1月23日に終了。全公演完全ソールドアウト。

2007年11月には、復活作となる10枚目のアルバム『X』発売。

2007年12月 イギリスのエリザベス2世女王より、大英帝国勲章(OBE)を授与される事が決まった。

2007年12月に10年ぶりの来日。アルバムと香水のプロモーション、そして日本テレビ系『Music Lovers』でのゲストライブを行った。


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