カイソーンは革命を成功させたカリスマ的指導者、英雄として崇拝の対象となっている。1992年にカイソーンが没すると、政府はすべての県庁所在地にカイソーンの彫像を設置した。また、2000年12月13日にはカイソーン生誕80年を記念して、首都ヴィエンチャンにあるカイソーン博物館の正面に彼の巨大なブロンズ像が建立された。しかし現在、カイソーンにまつわる伝説は、以前ほど国民特に若者層の興味を引くものではなくなってきている。政府は共和国建国30周年記念式典で示したようにカイソーンへの崇拝を堅持しているが、それはかつてよりも慎ましやかで質素に行うようになっている[10]。なお、2000kip以上のキープ紙幣には彼の肖像が描かれている。また毛沢東や金日成のように東側の指導者や、カンボジアのシアヌーク国王のようにカイソーンの肖像バッジも製作されており、ラオスの軍人・警察官が胸に取り付けている姿を見ることができる。これらのバッジの一部は北朝鮮に製造を委託され製作されているものもある。 夫人のトンウィン・ポムウィハーンはラオス人民革命党中央委員を務めたが、権力濫用と木材の不法輸出疑惑によって、1991年3月の第5回党大会では再選されなかった[11]。息子のセイソムフォン・ポムウィハーン
家族
息子のサンティパープ・ポムウィハーンは、財務副大臣、サワンナケート県副知事、同知事を歴任し、第10回党大会で党中央委員となる[12]
脚注^ 青山(1995年)、138ページ。
^ 南波(2017年)、9ページ。
^ 南波(2017年)、20ページ。
^ a b 山田(2002年3月)、122ページ。
^ 山田(2002年3月)、125ページ。
^ 山田(2002年3月)、128 - 129ページ。
^ a b 山田(2002年3月)、129ページ。
^ 山田(2002年3月)、129ページ。ヴォーラペット(2010年)、105ページ。
^ 山田(2002年3月)、136ページ。
^ ヴォーラペット(2010年)、190ページ。
^ ヴォーラペット(2010年)、105ページ。
^ 山田(2016年)、3ページ
参考文献
青山利勝『ラオス ― インドシナ緩衝国家の肖像』(中央公論社〈中公新書〉、1995年)
南波聖太郎「ラオスにおける解放区の成立過程?1950年代におけるパテート・ラオの対ベトナム民主共和国・対ラオス王国戦略の変遷を中心に?」(『東南アジア研究』55巻1号、2017年7月)
山田紀彦「ラオス人民革命党第7回大会 ― 残された課題 ― 」(石田暁恵編『2001年党大会後のヴィエトナム・ラオス ― 新たな課題への挑戦』アジア経済研究所、2002年3月)
山田紀彦「党と国家の新指導部?不完全な世代交代と今後の道筋?」(山田紀彦編『ラオス人民革命党第10回大会と『ビジョン2030』』アジア経済研究所、2016年5月)
カム・ヴォーラペット『現代ラオスの政治と経済』(藤村和広・石川真唯子訳、めこん、2010年)
先代
スパーヌウォンラオス人民民主共和国主席
1991年 - 1992年次代
ヌーハック・プームサワン
先代
スワンナ・プーマ
(ラオス王国連合政府首相)ラオス人民民主共和国首相
1975年 - 1991年次代
カムタイ・シーパンドーン
先代
書記長より移行ラオス人民革命党議長
1991年 - 1992年次代
カムタイ・シーパンドーン
先代
設置ラオス人民革命党書記長
1955年 - 1991年次代
議長へ移行
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