1910年、業績によりC.I.E.(Companion of the Indian Empire)に、1912年にはK.C.I.E.(Kinght Commander of the Indian Empire)に叙せられ、サーを称することを許可された。1913年 - 1916年には、第3回のハラホト(モンゴル語: ???? ????、転写: Khara-Khoto、中: K城)よりイラン東南部を経てインダス川上流に至る地域の調査旅行をおこなった。
調査報告書
Sand-buried ruins of Khotan, 1904
山口静一・五代徹訳注(全訳)『砂に埋もれたホータンの廃墟』 白水社、1999年
松田壽男訳(抄訳)『コータンの廃墟』 中公文庫(新版)[2]、2002年
Ancient Khotan, 1907
Ruins of Desert Cathay, 1912
Serindia, 1921
The Thousand Buddhas, 1921
Innermost Asia : Detailed Report of Explorations in Central Asia, 1925
On Ancient Central Asian Tracks, 1932
沢崎順之助訳『中央アジア踏査記』
白水社「西域紀行探検全集8」、1966年。新装版1984年、2000年、2004年
西アジアを中心とした探検(英語版)流域を調査旅行し、アレクサンドロス大王のインダス渡河地点、ウディヤーナ(英語版)遺跡(カイバル・パクトゥンクワ州、デュアランド・ライン)などを調査した。1930年には、第4回の中央アジア探検を申請したが、国民政府の許可がおりなかった。同年、日本を訪問している。その後は、西アジアの調査を行い、1927年?1938年にイランを調査し、モヘンジョ・ダロおよびハラッパーのインダス文明とメソポタミア文明との関係性を実証した。1938年?1939年にシリア、ヨルダンから北西イラクにかけてのローマ長城の調査をおこなった。
調査報告書
On Alexander's Track to the Indus, 1929
『アレクサンダーの道』 谷口陸男・澤田和夫訳、長澤和俊注・解説、白水社, 1984年
『アレクサンドロス古道』 前田龍彦訳、前田耕作監修、同朋舎出版, 1985年。下記を収録
アッリアノス「アレクサンドロス遠征記」訳スタイン解説「インダスに至るアレクサンドロスの道」ウィリアム・ウッドソープ・ターンの論考「バクトリアからインダスへ」
Archaeological Reconnaissances in North-western India and South-western Iran, 1937
An Archaeological Tour in the Ancient Persia, 1936
Old Routes of Western Iran, 1940
Wall paintings from ancient shrines in Central Asia, 1948
『中央アジア古代仏堂壁画』臨川書店、2009年。オーレル・スタイン 発掘、F・H・アンドリューズ(Fred Henry Andrews) 編・解説(原書の復刻版)
1943年10月には、カシミールよりペシャーワルを経由してアフガニスタンのカーブルに到着、バーミヤーン遺跡を始めアフガニスタンを組織的に発掘することを計画したが、そこで病没した。カーブル郊外にはスタインの墓がある。
関連文献
ジャネット・ミルスキー(Jeannette・Mirsky) 『考古学探検家スタイン伝』、杉山二郎ほか訳、六興出版(上下)、1984年
ピーター・ホップカーク 『シルクロード発掘秘話』、小江慶雄・小林茂訳、時事通信社、1981年
深田久弥・長澤和俊 『中央アジア探検史』、白水社、新版2003年 -「スタイン」の章
脚注^ “ ⇒Medals and Awards, Gold Medal Recipients” (PDF). Royal Geographical Society. 2016年11月26日閲覧。
^ 初刊は『世界ノンフィクション全集10』(筑摩書房、1960年)に収録。
外部リンク
⇒page about Marc Aurel Stein in Hungarian.
国立情報学研究所 - ディジタル・シルクロード・プロジェクト『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ ⇒マーク・オーレル・スタイン
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