オールナイトフジ
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前番組番組名次番組
殿様のフェロモン
(1993年10月 - 1994年3月)オールナイトフジ・リターンズ
(1994年4月 - 1994年9月)レボリューションNo.8
(1994年10月 - 1995年3月)

キャンパスナイトフジ(2009年 - 2010年)詳細は「キャンパスナイトフジ」を参照
主な出演者(キャンナイ)
司会


ケンドーコバヤシ

レギュラー


オードリー

ナイツ

ハライチ

はんにゃ

ゆったり感

進行


牧原俊幸(フジテレビアナウンサー

キャンパスナイターズ
詳細はキャンパスナイターズを参照
オールナイトフジコ(2023年 - )詳細は「オールナイトフジコ」を参照
主な出演者(フジコ)
MC


佐久間宣行

伊藤俊介(オズワルド

森田哲矢さらば青春の光

レギュラー


峯岸みなみ[6]

村重杏奈[6]

進行


佐野瑞樹(フジテレビアナウンサー)

フジコーズ
詳細はオールナイトフジコ#フジコーズを参照
派生番組
オールナイトフジ延長戦

オールナイトフジ延長戦
ジャンル
バラエティ番組
出演者桑野信義
相楽晴子
ダンプ松本
春一番
高橋リナ("RINA"名義)
長田美穂
ドジ井坂 ほか
製作
プロデューサー石田弘
制作フジテレビ

放送
放送国・地域 日本
放送期間1988年4月2日 - 10月1日
放送時間日曜(土曜深夜)3:30 - 5:30
放送分120分
特記事項:
放送時間は、『オールナイトフジ』本編終了時刻によって開始時刻が繰り下げられる場合があった。
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1988年4月からの約半年間、『オールナイトフジ』本編終了後の午前3時30分(予定)から5時30分まで放送されていた。ネット局はなし。当時は本体もネット局なしの関東ローカルであった。
概要(延長戦)

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出典検索?: "オールナイトフジ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年7月)

低予算を売りにして、カメラはハンディ型1台のみ。スタジオは基本的に使用せず、全編が外からの中継という、「本体」とは異なる状況下で放送されていた。

「本体」の最終回で、当時のMCであった相楽晴子や桑野信義らが語ったところによると、番組スタートの直接的理由は「オールナイトフジ本体の赤字解消」であるという。また別の視点では、「本体」が従来通りの「放送終了時間未定」であったため、当日の番組終了から翌日の放送開始までにどうしてもできてしまう「概ね2時間前後の空白時間」を埋めるための「何か」を作ろうとした結果、この番組がスタートした側面もある[注 37]

中継場所は週替わりで変化した。初回はキャバクラの女子寮から行い、それ以降も様々な場所[注 38]から生中継を行ったが、後期に入るにつれ、フジテレビ社内での放送が多くなっていき、正面玄関や南玄関、第9スタジオ(「プロ野球ニュース」の常設セットを使用)などを経て、末期は1部終了後の第4スタジオをそのまま使用して放送する形へと変化した。

スタッフのうち、演出陣は「本体」のスタッフから一部が専従として「延長戦」へ異動したが、「本体」のスタッフも持ち回りで担当するなど、あくまで同じ番組としての連携が図られた。ただし、番組を送り出す副調整室は「本体」で使用している第4副調整室(スタジオ)ではなく、プロ野球ニュース用の第7副調整室を受けサブとして、当初はこちらにもカメラやタレントを置き、一部コーナーを放送していた。なお、1988年9月3日(本体・延長戦ともにMZA有明から全中継)と同年10月1日(「延長戦」最終回)に限っては、「本体」と同じ第4副調整室から送出を行った。

「本体」から「延長戦」へは、渡しコメントが必ず入り、回によっては「延長戦」メンバーが「本体」に顔出しすることもあった。

「延長戦」が放送されていた期間は、それまで「本体」で放送されていた一部のコーナーが「延長戦」に移動した。「KIRIN洋楽情報[注 39]」もその一つだが、「延長戦」終了後、こちらは「本体」へと戻っている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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