オートノミー
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Terrence F. Ackerman はこれらの状況での問題を強調し、医師または政府がこの一連の行動をとることによって、患者の自主性に対する病気の制約的効果として価値の矛盾を誤って解釈する危険を冒すと主張している[31]

アメリカ合衆国においては、1960年代以来、医者が医学部にいる間に医師が生命倫理学コースを受講するという要件を含む、患者の自主を尊重する意識を高める試みがなされてきた[32]。しかしながら、患者の自主尊重を促進することへの大規模な取り組みにもかかわらず、先進国における医学に対する国民の不信は残ったままである[33]
日本における「自己決定権」「患者の権利#歴史」も参照

日本では、法学者唄孝一の1965年の論文(「治療行為における患者の承諾と医師の説明」『契約法大系』補巻、1965年2月『医事法学への歩み』、1970年「医事法の底にあるもの」再録)の中で、ドイツ語のPersonale Selbstbestimmung の訳語として患者の「個人の自己決定権」が使われているという。それと同時期に、欧米での患者の権利のための運動が盛んになり、そこで主張された英語の Patient Autonomy が「患者の自己決定権」と訳されたようになった[34]という。当時より、英語での self-determination は「民族自決」(運動)を指していた。

その後、世界医師会リスボン宣言でも「患者の自己決定の権利」が謳われた。ただし、1995年「リスボン宣言バリ総会改訂版」の採択において、日本医師会は唯一棄権している[35]

日本医師会生命倫理懇談会はその間、インフォームド・コンセントを元にした、1990年に「説明と同意」と表現する患者の自己決定権を保障するシステムあるいは一連のプロセスの概念を示した。1997年に医療法が改正され「説明と同意」を行う義務が、初めて法律として明文化されることになった[36]。これに対し、日弁連(日本弁護士連合会)は2011年10月6日第54回人権擁護大会の声明において、「我が国には、このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない」「日本医師会生命倫理懇談会による1990年の『説明と同意』についての報告も、こうした流れを受けたものではあるが、『説明と同意』という訳語は、インフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず、むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものである」と批判した[37]
日本における「"自律"尊重原則」

日本の一部では(単純に、自律神経から連想して誤訳してしまっただけの可能性もあるが)、これを定義通りの「自己決定権」または「自主」でもなく、「自律」または「自律性」という文脈上とくに違和感のある日本語訳を採用する場合がある。また、その根拠を、元の古ギリシャ語を原義とする意味合いによらず、カントがその道徳論で用いたオートノミーに求めて説明する試みが見られている[38][39]。その結果として「自分の行為を主体的に規制すること。外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること」という理解[38]に繋がってしまっているのである。(本来は逆で「患者は常に自分の治療を選択する自由を持つべき」という定義)

しかしながら、ここ(「医療倫理の4原則」や生命倫理学#原則)におけるオートノミーをカントの意味合いに求める根拠は存在せず、そもそもカントは道徳において、オートノミーを3つのテーマによって定義していると現代倫理では一般に解釈[注釈 1]されている。第一に、他者からの干渉を排除して自らの決定を下す権利としてのオートノミー(自主性)。第二に、自らの心の独立性を通してそして個人的な熟考の後にそのような決断をする能力としてのオートノミー(自律性)。第三に、オートノミー(自立的)に生活するための理想的な方法として。つまり、(カントの定義する)オートノミーは、自分が所有する内なる道徳的な権利(Moral rights=「人格権」)と言える[6]

ゆえに、ここであえて「自律」という訳語を採用し、患者の内面の道徳的「自律心」または「(子供の発達期における)自己を律する自律性」「自分の行為を主体的に規制すること」を示唆するのは、医療倫理の文脈でいう、外からの干渉を受けない患者の「自主」に基づく自己決定の権利をあえて欠落させるものである。

つまり、パターナリズムの対義語としての患者の「自己決定(権)」の擁護、およびその保障プロセスとしての「インフォームド・コンセント」の必要性を説くこの文脈において、「自律」の訳語採用は明らかに誤りである。実情を掘り下げると、インフォームド・コンセントをあえて「説明と同意」という日本独自の概念に変えてしまい、日弁連から「『説明と同意』という訳語はインフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず、むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものである」[37]と批判されたように、ここで「自律」の訳を採用すること自体が日本の医療におけるパターナリスティクな慣習と抵抗の現れである、とする批判も可能である。そこで、ここでは中立的で客観的に、より正しい意味合いである「自主」、そしてその具体としての「自己決定権」というオートノミーの訳語を採用しているものである。

なお、同じ漢字圏の国(台湾など)においても、この文脈では「自主」である。

例:「醫學倫理學 - 病患自主(患者の自主)」、「生命倫理學之四原則、1.尊重自主原則」、「自主神?系?」、「病人自主權利法(患者の自主権利法)[40]
日本医師会の対応

さらに、世界医師会が発表する宣言文(リスボン宣言など)の翻訳文を日本医師会が公開しているが、そこでは「患者のオートノミー」は全て「患者の自律性」との訳[41]で一貫し、2008年に採択された別の「プロフェッショナル・オートノミーと臨床上の独立性に関するWMAソウル宣言」[42]では、カタカナ表記で「オートノミー」としている。この違いは、ソウル宣言では、オートノミーが医師についての事だからである。「患者のオートノミーは自律性」と訳しながらも「医師のオートノミーはオートノミー」とカタカナ表記で翻訳し、「オートノミー」の訳を意図的に異なるものにしているのである。

同様の意図的な「誤訳」は他でも指摘されており、「WMA(世界医師会)の考えが日本の医療界に浸透しないのは、日本医師会の『誤った認識』がそれを妨げているからでしょう。日本医師会は『WMAの考えを隠したい』という『意図』を持っているようです」・・・「日本医師会の訳では『個々の医師のあり方』を述べていることになります。これは『the medical profession』と『individual physicians』との区別を無くしたための『誤訳』です。一例を挙げましたが、このようなprofessionに関する『誤訳』はWMAの他の 宣言などでも一貫して出てきます。したがってこれは『意図的な誤訳』でしょう」[43]。つまり、日本の医師会は、誤解や誤訳ではなく、意図があって意図的に行っている、と言える。
その他「自己決定権」詳細は「自己決定権」を参照
その他の様々な用法

コンピューティングでは、オートノミー型周辺機器は、コンピュータの電源を切った状態で使用できるもの。

心理学における自己決定論の中で、オートノミーは「オートノミーの支援対コントロール」、「オートノミー支援社会的文脈がオートノミーな動機、健康的な発達、および最適な機能を促進する傾向があるという仮説」を指す。

数学的解析では、
常微分方程式は時間に依存しなければ自励系であると言われる。

言語学において、独立言語(Autonomous language)は他の言語から独立しているものであり、例えば、標準的な多様性、文法本、辞書または文学などを有する。

ロボット工学では、「オートノミー」は制御の自主性を意味する。この特徴は、ロボット工学の場合には、設計者とロボットとの間の関係において、2者間の関係の特性であることを意味する。自給自足、適性、学習または発達、および進化は、エージェントのオートノミーを高めるのです」とRolf Pfeiferは述べている。

自律システム・自律系(autonomous system)参照。

宇宙飛行では、オートノミーは地上管制官による制御なしで動作している有人任務を指すこともある。

経済学では、自治消費は所得水準がゼロのときの消費支出であり、支出は所得に対してオートノミーになる。

政治では、自治的領土とは、自決権・主権または独立主権 )に対する民族的または先住民族の要求に反対して領土の完全性を維持したい側の国を指す。

反体制運動では、autonomous spaceは、(政府間の交流のための)非政府の社会的な中心としての社交空間や自由な空間のための別称。

社会心理学では、オートノミーは、個人の達成、自立、孤独を好むことに焦点を当てることで特徴づけられる性格特性であり、主に社会指向性 (sociotropy) の対義語に扱われる[44]

自動運転車では、autonomous carは、制御システムが「自律型」であることが要件となる。


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