オーストリア
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合計(2019年)3975億7500万[4]ユーロ (€)

GDP(MER
合計(2019年)4451億2500万[4]ドル(27位
1人あたり5万246.607[4]ドル

GDP(PPP
合計(2019年)5198億3200万[4]ドル(45位
1人あたり5万8679.726[4]ドル

成立[注釈 1]
オーストリア辺境伯領976年
オーストリア公国1156年
オーストリア大公国1453年
オーストリア帝国1804年
オーストリア=ハンガリー帝国1867年
第一共和国1918年
アンシュルス(ドイツによる併合)1938年
第二共和国1945年以降
オーストリア国家条約連合軍の軍政より独立)1955年5月15日調印/同年7月27日発効

通貨ユーロ (€)(EUR[注釈 2][注釈 3]
時間帯UTC+1 (DST:+2)
ISO 3166-1AT / AUT
ccTLD.at
国際電話番号43
^ 南部ドイツ語のうちオーストリアドイツ語バイエルン・オーストリア語(公文書などは標準ドイツ語使用)
^Bevolkerung zu Quartalsbeginn seit 2002 nach Bundesland|1 - Statistik Austria
^ “ ⇒UNdata”. 国連. 2021年11月5日閲覧。
^ a b c d e IMF Data and Statistics 2021年10月14日閲覧([1])

オーストリア共和国(オーストリアきょうわこく、ドイツ語: Republik Osterreich、バイエルン・オーストリア語: Republik Ostareich)、通称オーストリアは、中央ヨーロッパに位置する連邦共和制国家首都ウィーン

西側はリヒテンシュタインスイスと、南はイタリアスロベニア、東はハンガリースロバキア、北はドイツチェコと隣接する。基本的には中欧とされるが、歴史的には西欧東欧に分類されたことがある。
概要

中欧に650年間ハプスブルク家の帝国として君臨し、第一次世界大戦まではイギリスフランスドイツロシアと並ぶ欧州五大国、列強の一角を占めていた。1918年、第一次世界大戦の敗戦と革命により1867年より続いたオーストリア=ハンガリー帝国が解体し、共和制第一共和国)となった。この時点で多民族国家だった旧帝国のうち、かつての支配民族のドイツ人が多数を占める地域におおむね版図が絞られた。1938年には同じ民族の国家であるナチス・ドイツに併合されたが、ドイツ敗戦後の1945年から1955年には連合国軍による分割占領の時代を経て、1955年の独立回復と永世中立国化により現在に続く体制となった。

音楽を中心に文化大国としての歴史も有する。EU加盟以降は、同言語・同民族の国家同士でありながら複雑な国際関係が続いてきたドイツとの距離が再び縮まりつつあり、国内でも右派政党の伸張などドイツ民族主義の位置づけが問われている。

本項ではおもに1955年以降のオーストリア共和国に関して記述する。それ以前についてはオーストリアの歴史ハプスブルク君主国オーストリア公国オーストリア大公国オーストリア帝国オーストリア=ハンガリー帝国第一共和国 (オーストリア)アンシュルス連合軍軍政期 (オーストリア) を参照。
国名

正式名称はRepublik Osterreich (ドイツ語: レプブリーク・エースターライヒ)。

通称  Osterreich(エースターライヒ)[ヘルプ/ファイル]['o:st?raic] [1]O は正確には日本語の「エ」ではなく、丸めた「オ」の口をしながら「エ」を発音する音[o?]だが、日本語では「エ(ー)」で表記する慣習があるほか、日本人には「ウ(ー)」のように聴こえることもある。

公式の英語表記は Republic of Austria。通称Austria、形容詞はAustrian(オーストリアン)。日本語の表記はオーストリア共和国、通称オーストリア。漢字表記では墺太利または澳地利(略表記:墺)と記される。ドイツ語の表記や発音(および下記オーストラリアとの混同回避)を考慮した日本語表記はエースタ(ー)ライヒ、エスタ(ー)ライヒ、または舞台ドイツ語的表記によるエステ(ル)ライヒであり、専門書や各種サイトなどで使用されている。「オーストリアの国名(英語版)」も参照
由来と「狭義のオーストリア」

国名のOsterreichは、ドイツ語で「東の国」という意味である。フランク王国のころにオストマルク(「東方辺境領」)が設置されたことに由来する。OstmarkとはOst-markで「東方の守り」を意味する(デンマーク(Danmark)の「マーク」と同じ)。ドイツ語を含む各言語の呼称はそれが転訛したものである。

狭義のオーストリアはかつてのオーストリア大公領であり、現在のオーストリアの領土のうちザルツブルク大司教領やケルンテン地方、シュタイアーマルク地方、チロル地方は含まれない。オーストリア大公を名乗り同大公領を世襲してきたハプスブルク家、ハプスブルク=ロートリンゲン家を「オーストリア家」と呼ぶようになり、時代が下るにつれ、同家が統治する領地を漠然と「オーストリア」と呼ぶようになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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