オーストリア
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^ a b c d e IMF Data and Statistics 2021年10月14日閲覧([1])

オーストリア共和国(オーストリアきょうわこく、ドイツ語: Republik Osterreich、バイエルン・オーストリア語: Republik Ostareich)、通称オーストリアは、中央ヨーロッパに位置する連邦共和制国家首都ウィーン

西側はリヒテンシュタインスイスと、南はイタリアスロベニア、東はハンガリースロバキア、北はドイツチェコと隣接する。基本的には中欧とされるが、歴史的には西欧東欧に分類されたことがある。
概要

中欧に650年間ハプスブルク家の帝国として君臨し、第一次世界大戦まではイギリスフランスドイツロシアと並ぶ欧州五大国、列強の一角を占めていた。1918年、第一次世界大戦の敗戦と革命により1867年より続いたオーストリア=ハンガリー帝国が解体し、共和制第一共和国)となった。この時点で多民族国家だった旧帝国のうち、かつての支配民族のドイツ人が多数を占める地域におおむね版図が絞られた。1938年には同じ民族の国家であるナチス・ドイツに併合されたが、ドイツ敗戦後の1945年から1955年には連合国軍による分割占領の時代を経て、1955年の独立回復と永世中立国化により現在に続く体制となった。

音楽を中心に文化大国としての歴史も有する。EU加盟以降は、同言語・同民族の国家同士でありながら複雑な国際関係が続いてきたドイツとの距離が再び縮まりつつあり、国内でも右派政党の伸張などドイツ民族主義の位置づけが問われている。

本項ではおもに1955年以降のオーストリア共和国に関して記述する。それ以前についてはオーストリアの歴史ハプスブルク君主国オーストリア公国オーストリア大公国オーストリア帝国オーストリア=ハンガリー帝国第一共和国 (オーストリア)アンシュルス連合軍軍政期 (オーストリア) を参照。
国名

正式名称はRepublik Osterreich (ドイツ語: レプブリーク・エースターライヒ)。

通称  Osterreich(エースターライヒ)[ヘルプ/ファイル]['o:st?raic] [1]O は正確には日本語の「エ」ではなく、丸めた「オ」の口をしながら「エ」を発音する音[o?]だが、日本語では「エ(ー)」で表記する慣習があるほか、日本人には「ウ(ー)」のように聴こえることもある。

公式の英語表記は Republic of Austria。通称Austria、形容詞はAustrian(オーストリアン)。日本語の表記はオーストリア共和国、通称オーストリア。漢字表記では墺太利または澳地利(略表記:墺)と記される。ドイツ語の表記や発音(および下記オーストラリアとの混同回避)を考慮した日本語表記はエースタ(ー)ライヒ、エスタ(ー)ライヒ、または舞台ドイツ語的表記によるエステ(ル)ライヒであり、専門書や各種サイトなどで使用されている。「オーストリアの国名(英語版)」も参照
由来と「狭義のオーストリア」

国名のOsterreichは、ドイツ語で「東の国」という意味である。フランク王国のころにオストマルク(「東方辺境領」)が設置されたことに由来する。OstmarkとはOst-markで「東方の守り」を意味する(デンマーク(Danmark)の「マーク」と同じ)。ドイツ語を含む各言語の呼称はそれが転訛したものである。

狭義のオーストリアはかつてのオーストリア大公領であり、現在のオーストリアの領土のうちザルツブルク大司教領やケルンテン地方、シュタイアーマルク地方、チロル地方は含まれない。オーストリア大公を名乗り同大公領を世襲してきたハプスブルク家、ハプスブルク=ロートリンゲン家を「オーストリア家」と呼ぶようになり、時代が下るにつれ、同家が統治する領地を漠然と「オーストリア」と呼ぶようになった。1804年オーストリア帝国の成立に際しても「『オーストリア』の地理的範囲」は具体的に定義されなかった。1918年にオーストリア・ハンガリー帝国が解体され、ウィーンを首都にドイツ人が多数を占める地域で「国民国家オーストリア」が建設されるが、これは一地方の名前(あるいはオーストリア家というかつての王家の通称)を国名に使用したことになる。

現在のオーストリアの行政区画では、かつてのオーストリア大公領は上オーストリア州下オーストリア州に分割継承されている。

ドイツ語のエスターライヒのreich(ライヒ)はしばしば「帝国」と日本語訳されるが、フランスのドイツ語名が現在でもFrankreich(フランクライヒ)であるように、厳密には「帝国」という意味ではない。「reich」には語源的に王国、または政治体制を問わず単に国、(特定の)世界、領域、(動植物の)界という意味が含まれている。

なお隣国のチェコ語ではRakousko / Rakuskoと呼ぶが、これは国境の一角の地名ラープス・アン・デア・ターヤ(ドイツ語版)に由来している。
オーストリア家(ハプスブルク家)との関係

オーストリアを統治してきたハプスブルク家およびハプスブルク=ロートリンゲン家は「オーストリア家(: Haus Osterreich, 西: Casa de Austria, : Maison d'Autriche, : House of Austria)」とも呼ばれ、同家の成員はハプスブルク、ハプスブルク=ロートリンゲンの家名の代わりに「オーストリアの」を表す各国の言語で呼ばれる(e.g. Marie-Antoinette d'Autriche、マリー=アントワネット・ドートリシュ)。「オーストリア家」にはスペイン・ハプスブルク家も含まれることがあり、たとえば、フランスルイ14世の王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュ(スペイン語:マリア・テレサ・デ・アウストリア)はフランス語、スペイン語でそれぞれ「オーストリアの」とあって、スペイン・ハプスブルク家の王女である。日本語版Wikipediaでは、ハプスブルク家がドイツ系の家系であることから、記事名にはドイツ語の「フォン・エスターライヒ」(e.g. カール・ルートヴィヒ・フォン・エスターライヒ)を使用している。
オーストラリアとの混同

オーストリアはオーストラリアと間違えられることがある。「オーストリア」はドイツ語 Osterreich「東の国; オーストリア」の Oster-「東」を同源のラテン語 auster-「南」で置き換えた呼び方であり、「オーストラリア」はラテン語 terra australis「南の地」に由来する。すなわち「オーストリア」と「オーストラリア」は共にラテン語 auster「南」に由来する。

日本では、オーストリア大使館オーストラリア大使館を間違える人もおり、東京都港区元麻布のオーストリア大使館には、同じく港区三田の「オーストラリア大使館」への地図が掲げられている[2]

2005年日本国際博覧会(愛知万博)のオーストリア・パビリオンで配布された冊子では、日本人にオーストラリアとしばしば混同されることを取り上げ、オーストリアを「オースア」、オーストラリアを「オースリア」と覚えるように呼びかけている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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