オーストラリア連邦(オーストラリアれんぽう、英: Commonwealth of Australia)[3]、通称オーストラリア(英: Australia)[4][5]は、オセアニアに位置し、オーストラリア大陸本土、タスマニア島及び多数の小島から成る連邦立憲君主制国家。首都はキャンベラ。
近隣諸国としては、北にパプアニューギニア・インドネシア・東ティモール、北東にソロモン諸島・バヌアツ、東はトンガ・ニューカレドニア・フィジー、南東2000キロメートル先にニュージーランドがある。 オーストラリアは、オセアニア地域のリーダー格たる国家である。オセアニアにおける政治・経済の中心的存在で人口密度も高く[6][7][8][9]、属領として周辺諸島をいくつか島嶼部に持ち合わせるなど、広大な影響力を示している。最大の都市はシドニー。他の主要都市としては、メルボルン、ブリスベン、パース、アデレードなどが存在する。日本での略称は豪州(ごうしゅう)である[10]。 オセアニアで最大の国土面積を誇る国家であり、総面積は世界第6位として認知されている。同国はオセアニアの有人史において最も古い歴史を持ち、現在も肥沃な土壌が極少という過酷な環境を伴っている[11][12]が、反面で国土は、中心部に砂漠、北東部に熱帯雨林、南東に山岳地帯など、多種多様な景観と気候を擁している。 1606年におけるオランダ人探検家によるヨーロッパのオーストラリア大陸発見後、1770年にイギリスが同大陸の東半分を領有主張し、1788年1月26日からニューサウスウェールズ州の植民地に初めて流刑を通じて定住が開始された。その後の数十年間で同大陸の調査が行われ、人口は着実に増加し、さらに5つの自治王領植民地
概要
1901年1月1日、6つの植民地が連合しイギリス自治領として連邦を形成、事実上独立した。以後、6つの州及びその他特別地域から成る連邦議院内閣制及び立憲君主制の役割を果たす安定した自由民主主義の政治体制を維持してきた。2360万の人口は、高度に都市化された東部の州及び沿岸部にかなり集中している[13]。
18世紀末期における最初のイギリスの植民までの少なくとも4万年の間[14][15][16]、およそ250の言語グループに分類される言語話者の先住民が居住してきた[17][18][19]。