政体は立憲君主制・連邦制である。成文憲法のオーストラリア憲法をもつ。イギリス国王・女王と同一人物であるオーストラリア国王が国家元首とみなされる。実際にはオーストラリア総督が国王・女王の代行を務め、その権限は専ら儀式程度に限られる。1975年には、上下院が対立して予算案が議会を通らずに労働党政府の維持が困難になった際に、ジョン・ロバート・カー総督が憲法に基き議会を解散、当時の首相であったゴフ・ホイットラムを罷免し野党党首のマルコム・フレーザーに選挙管理内閣を委ねる事件が起き、論議を呼んだ。政府は議会に対してのみ責任を負うイギリス型の議院内閣制で、政府機関には移民市民権省など特有の機関がある。
一方で「共和制へ移行して、名実共に英国から独立すべき」と主張する共和派も活動しており、君主制の是非を問う国民投票もこれまで何度か実施されたが、いずれも僅差で否決されている。2016年12月には、当時の首相だったマルコム・ターンブルが「オーストラリア共和制推進運動(英語版)(ARM)の大義はオーストラリアのための大義だ」として、共和制への移行を求める超党派ロビー団体ARMの会合で行った基調演説にて「女王エリザベスの退位後に行うべき」との旨を訴えていたことが報じられている[41]。
議会オーストラリア連邦議会「オーストラリアの総督」も参照
議会は二院制で、下院が金銭法案の先議権を有するほかは両院の権限は対等であり、米国のような上院の独自の権限は存在しない。選挙権は18歳以上(義務投票制)。上院は任期6年(ただし特別地域選出議員は3年)で、通常は3年毎に半数が改選される。各州から12名ずつ、特別地域選出議員(首都とノーザンテリトリー)から2名ずつの計76人から構成され(単記移譲式投票)、州を代表する。下院は任期3年で、小選挙区から1名ずつ選出(優先順位付き連記投票)され、定員は150人。主な政党は労働党、自由党、自由国民党、国民党。このうち、労働党を除く三党は保守連合(保守党)を構成している。下院に基礎をおく議院内閣制であるにもかかわらず、上院は選挙制であり(カナダのように任命制の場合は、上下両院が対立した場合には、選挙制である下院が優越すべきとなるが、選挙制であるためこれがない)、上下両院は対等の権限を有している。そのため、上下両院が対立して政治危機となった場合にそなえて、上下両院の解散(下院のみの解散は、制限なく可能)の制度を有している。これは、下院で可決された法案が上院で否決された場合に行うことができるもので、この場合は上院も全数が改選となり得票の上位半分が6年、下位が3年となる。更に、この上下両院選挙によっても対立が解消されない場合は、問題の法案を上下両院合同会議に付議できるとしている。議会はイギリス流に「パーラメント」と呼ばれる。「オーストラリアの政党」も参照 6つの州と2つの準州で構成される。州の首相は「プレミア」準州では「チーフ・ミニスター」と呼ばれ、連邦政府の首相「プライム・ミニスター」と区別されている。首相は大臣を任命して内閣を組織する。歴史的経緯から州政府は強大な自治権を持っており、教育、医療、交通、警察の分野では主導的立場にある。 各州ごとの憲法あるいは地方自治体法[42]により設置された地方自治体[43]という単位で行われ、自治体のいくつかが統合されて広域自治体[44]となる場合もある。 2006年4月時点の地方自治体は656で、各州ごとの自治体数は次のとおり[45]。 州・準州地方自治体数
地方自治
ニューサウスウェールズ州151
ビクトリア州78
クイーンズランド州124
西オーストラリア州141
南オーストラリア州68
タスマニア州29
ノーザンテリトリー65
ACT6
司法府詳細は「オーストラリアの司法(英語版
オーストラリア連邦の司法権は同国憲法に基づき、オーストラリア高等裁判所および連邦議会が設置するその他の連邦裁判所へ付与されている。
この節の加筆が望まれています。
国際関係詳細は「オーストラリアの国際関係(英語版)」を参照
日本との関係「日豪関係」も参照2009年9月21日、ウォルドルフ=アストリアにて握手を交わす岡田克也外務大臣、ヒラリー・クリントンアメリカ合衆国国務長官、ステファン・スミスオーストラリア外務大臣。
日本は中国に次ぐ2番目の輸出相手国で、鉄鉱石、石炭、牛肉などが輸出されている。近年、アジア・太平洋地域との結びつきを重視し始めており、日本製品(主の自動車や電子機器などの工業製品)も多数輸入しており、多数の日本製品が生活には欠かせないものとなっている。これらのことから、2007年に日豪FTAと呼ばれる、日本とのFTA(自由貿易協定)交渉が始まり、2014年7月調印、2015年1月15日に発効した[46][47]。
内外から批判は多いものの、イラク戦争で共同歩調を取ったことから政治的な友好関係が深まり、2006年には日米豪閣僚級戦略対話が行われるなど政治、安全保障、経済、科学技術などの面での関係拡大が図られ、政治面でもアジア・太平洋地域における日本の重要なパートナーとなりつつある。1976年に、日豪友好協力基本条約が締結され、締結30周年目に当たる2006年は「日豪交流年」とされ、これを記念し国内最大のコレクションを有するメルボルンのビクトリア国立美術館 (NGV) で、日本の漆に焦点をあて「フォーカス・オン・ラッカー展」を開催した。1984年来、同美術館に所蔵されている木漆工芸家菅沼三千子創作の赤漆盛器が改めて日豪交流の一役を担った。
2007年3月には、日豪首脳会談において日豪間の外交・防衛協力の緊密化を謳った「安全保障協力に関する日豪共同宣言」が調印された。戦後の日本にとって防衛に関する共同宣言は、アメリカ以外では初めてのことであった。これに関連し、防衛外交当局者による定期的な会議(2プラス2)の開催も決定した。一方で、同年、上院で慰安婦問題和解提言決議が採択され、慰安婦制度を「日本の歴史におけるおぞましい出来事」と批判した。
留学生や観光客が日本から訪れているほか、ワーキング・ホリデー協定を最初に締結した国(1980年)であり[48]、現在でも対象国中で高い人気を誇っている。ケアンズやゴールドコーストのサーファーズパラダイスでは、多数の日本人の店員や観光客、日本語の看板も多く目にする。また近年、ケアンズを修学旅行先として選ぶ学校もあるが、増加を続ける外国人観光客のうち、日本人観光客は2006年9月と2007年9月との比較で10%減少し[49]、また来豪日本人数のピークである96?97年では年間約96万人を数えたが、2010年との比較では最盛期の1/3にまで落ち込んだ[50]。
一方、スキー・スノーボード目的の観光客が近年、日本の北海道のニセコに多く訪れている。