オーストラリア
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近隣諸国としては、北にパプアニューギニアインドネシア東ティモール、北東にソロモン諸島バヌアツ、東はトンガニューカレドニアフィジー、南東2000キロメートル先にニュージーランドがある。
概要

オーストラリアは、オセアニア地域のリーダー格たる国家である。オセアニアにおける政治・経済の中心的存在で人口密度も高く[6][7][8][9]、属領として周辺諸島をいくつか島嶼部に持ち合わせるなど、広大な影響力を示している。最大の都市はシドニー。他の主要都市としては、メルボルンブリスベンパースアデレードなどが存在する。日本での略称は豪州(ごうしゅう)である[10]

オセアニアで最大の国土面積を誇る国家であり、総面積は世界第6位として認知されている。同国はオセアニアの有人史において最も古い歴史を持ち、現在も肥沃な土壌が極少という過酷な環境を伴っている[11][12]が、反面で国土は、中心部に砂漠、北東部に熱帯雨林、南東に山岳地帯など、多種多様な景観と気候を擁している。

1606年におけるオランダ人探検家によるヨーロッパのオーストラリア大陸発見後、1770年にイギリスが同大陸の東半分を領有主張し、1788年1月26日からニューサウスウェールズ州の植民地に初めて流刑を通じて定住が開始された。その後の数十年間で同大陸の調査が行われ、人口は着実に増加し、さらに5つの自治王領植民地が設立されていた。イギリスは無地と見做した土地を植民地化していったが、その政策は辺境戦争(英語版、フランス語版)の原因となり、入植以前は30万人から100万人を数えていた先住民の人口激減へと繋がることともなった。

1901年1月1日、6つの植民地が連合しイギリス自治領として連邦を形成、事実上独立した。以後、6つの州及びその他特別地域から成る連邦議院内閣制及び立憲君主制の役割を果たす安定した自由民主主義の政治体制を維持してきた。2360万の人口は、高度に都市化された東部の州及び沿岸部にかなり集中している[13]

18世紀末期における最初のイギリスの植民までの少なくとも4万年の間[14][15][16]、およそ250の言語グループに分類される言語話者の先住民が居住してきた[17][18][19]。彼らの食文化ブッシュ・タッカーは1970年代から注目された。

オーストラリアは、生活の質健康教育市民の自由民主主義指数経済的自由権世界平和度指数、および政治的権利において世界最高値の順位に立っており[20]、さらに国内すべての主要都市が、国際的な居住性の順位(英語版)において高い確率で挙げられており、どれも例外的に機能を果たしている面を持つ。

また、オーストラリアは高度に発展した高所得経済国家(英語版)であり、2014年時点での一人当たりの国民所得は世界第5位であった[21]。2022年の時点で、経済規模は世界14位であり、 1人当たりの所得は9位となっている[22]。2021年時点の人間開発指数では5位にランクされている[23][24]。一方で同国は地域大国であり、軍事費が世界13位(英語版、フランス語版)という高さを誇っている[25]

国際連合G20経済協力開発機構 (OECD)、世界貿易機関アジア太平洋経済協力及び太平洋諸島フォーラム加盟国である。2013年9月MIKTAにも参加した。また、イギリス連邦加盟国で英連邦王国の一国となっており、その傍ら太平洋共同体の創設国で日米豪印戦略対話の当事国家の一国かつANZUSUKUSA協定AUKUS締結国の一国ともなっている。
国名詳細は「オーストラリアの国名(英語版)」を参照オーストラリアの最も古い地図(1547年)

正式名称は、Commonwealth of Australia(英語発音: [?k?m?n?welθ ?v ?(?)?streilj?] コマンウェルス・ァヴ・オ(ー)ストゥレイリャ)。通称、Australia  発音(豪)[ヘルプ/ファイル]  発音(米)[ヘルプ/ファイル]。

通常、日本語の表記は オーストラリア。正式名称たる Commonwealth of Australia を訳してオーストラリア連邦とすることもある。

日本における漢字表記では濠太剌利とされ、またそこから濠洲(ごうしゅう)とも呼ばれる[26]。「連邦」を付け濠洲連邦ということもある。「濠」「洲」は常用漢字の「豪」「州」を代用して豪太剌利・豪洲・豪州と書くことも多い。また、濠洲という略称は朝鮮語でも用いられ、ハングルでは ?? と表記される。中国語圏での漢字表記は澳大利亞、略称は澳洲となる。

国名の由来はラテン語で「南の地」を意味する terra australis で、これはヨーロッパにおける伝説上の大陸テラ・アウストラリス・インコグニタ(ラテン語:Terra Australis Incognita)のことを指している。「マシュー・フリンダース」も参照
歴史

オーストラリアの歴史

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先住民時代
ヨーロッパ人による「発見」(1606年)
シドニー入植
(1788年1月26日)
ニュー・サウス・ウェールズ植民地(英語版)
(1788年-1900年)
オーストラリア開拓戦争(英語版) (1788年-1934年)
ホークスベリー・ネピアン戦争(英語版)
(1794年-1816年)
ブラック・ウォー
(1828年?1832年)
ゴールドラッシュ(英語版)
(1851年)
ユリーカ砦の反乱(英語版)
(1854年)
オーストラリア連邦の成立
(1901年1月1日-現在)


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