オーストラリアの国旗
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ユニオンフラッグはオーストラリアの基礎となった6つのイギリスの植民地[12][13]大英帝国の一部として忠誠を誓っていたことを意味する[14]。連邦の星については、6ヶ所の植民地から、当初は六稜星であったが、パプア州及び将来加わるかもしれない地域を象徴させて、1908年に七稜星に変更された[12][15]。国章における星も同様に変更されている。南十字星は、南半球で見られる代表的な星座であり[12]、植民地時代の初期よりオーストラリアを意味するものとして使われてきた[12]。旗のデザイナーの一人、アイバー・エヴァンズは、詩人ダンテ・アリギエーリにならい、4つの星は正義賢明節制忍耐を意味するとした[16]。また、当初、星の角の数は、実際の星の明るさに応じ、5から9であった[12]。イギリス海軍本部は単純化するために、大きい4つの星は全て七稜星、小さい1個を五稜星とし、1903年2月23日より変更を行なった[12]。このような変更の結果、1934年発行の官報により、現在のデザインが確定し[17]1953年には国旗法が制定された。
旗の要素旗の要素及び配置の指定国旗法により、オーストラリア国旗には以下の要素が指定されている[18]

a:ユニオンフラッグは旗竿側の上部四分の一(カントン部)を占める[19]。b:オーストラリアの6つの州とその他の地域を意味する大白星を旗竿側の下部四分の一部に配置し、星の向きは聖ゲオルギウス十字の中心に合わせる[19]。c:南十字星を意味する5個の星は、旗竿から遠い側(フライ側)に配置する[19]。星の配置については、以下の通りとなる[19]

コモンウェルス・スター:七稜星。旗竿側下部四分の一の中心に配置[19]

みなみじゅうじ座α星(1等星):七稜星。フライ側半分の中心、下端より6分の1ほど上に配置[19]

みなみじゅうじ座β星(1等星):七稜星。フライ側半分の中で中心より4分の1ほど左、16分の1ほど上に配置[19]

みなみじゅうじ座γ星(2等星):七稜星。フライ側半分の中心、上端より6分の1ほど下に配置[19]

みなみじゅうじ座δ星(3等星):七稜星。フライ側半分の中で中心より9分の2ほど右、240分の31ほど上に配置[19]

みなみじゅうじ座ε星(4等星):五稜星。フライ側半分の中で中心より10分の1ほど右、24分の1ほど下に配置[19]
星の大きさは、コモンウェルス・スターの外周直径が旗の横幅の20分の3、南十字星の4個の星は横幅の14分の1、ε星が24分の1である。星の内周直径は外周直径の9分の4となっている。旗の縦横比は1対2である。
色指定パントン色指定を用いた旗国旗法では、国旗について詳細な色指定は行われていないが、首相・内閣府文化局ではパントン色見本による色指定を公表している[20]。 政府刊行物の Style Manual for Authors, Editors and Printersでも、CMYK及びRGBによる色指定を公表している[21]

配色青赤白出典
パントン280 C185 CSafe[20][22]
RGB0?43?127
(#002B7F)232?17?45
(#E8112D)255?255?255
(#FFFFFF)[21]
CMYK100%?80%?0%?0%0%?100%?100%?0%0%?0%?0%?0%[21]

国旗の日1996年8月28日オーストラリアの総督であるサー・ウィリアム・パトリック・ディーンは、9月3日をオーストラリアの国旗の日とすることを宣言した[23]。これはジョン・クリスチャン・ヴォーンによって提唱されてきたもので、1901年に初めて国旗が掲揚されてきたことにちなんでいる[24]。すでに、シドニーでは1985年より、その日を国旗の日として祝ってきていた。国旗の日は祝休日ではないが、学校や施設ではセレモニーが開催され、総督もコメントを出す場合がある[25]
歴史的な旗

?1823年-1824年

?植民地の旗

?1831年

?1851年

?1854年

?1901年-1903年

?1903年-1909年

?1901年-1903年の商船旗

?1903年-1909年の商船旗

?1982年までの空軍旗

現在の国旗(縦横比2:3の別タイプ)


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