オレたちひょうきん族
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^ 具体的には、たけし曰く「(当時たけし自身がパーソナリティを務めていた)『オールナイトニッポン』を親に隠れて聞いているようなやつら」。
^ 尤も、吉本自体大正時代には早くも東京に進出しており、当時東京最大の歓楽地であった浅草公園六区に劇場を建設、戦前にはプロ野球の巨人軍の設立や映画会社の経営に関与するなど全国規模での活動をしていたが、戦後の浅草の急激な斜陽化とともに吉本は撤退した。その後1980年に上京する芸人のマネジメントをする「東京連絡事務所」を設立していたが、社員は2名のみ・事務所もマンションの一室と小規模な状況でのスタートだった。
^ ビートきよしの出演が無くなってからは『ツービート』表記は無くなった。
^ 初代OP時でのクレジット上での扱いは正式レギュラーが顔つきで紹介された後に、タレント名だけがテロップで表示される、いわゆる準レギュラー格での扱いで、正式レギュラー扱いとなったのは1983年4月、3代目のOPに切り替えられてからのことであった。
^ 一時、裏番組『ダントツ笑撃隊!!』(日本テレビ)に出演して番組を離れるも1982年に復帰。「ぼんちおさむ」を名乗るようになってからも当番組では「おさむ」名義のままだった。
^ 1982年頃に降板し、約2年間番組を離れていたが石井章雄の洋七が好評で「W洋七」として復帰し、太平サブローの洋八と「B&B」として活躍。
^ 『赤信号』名義
^ 当初は本名の「松尾憲造」名義
^ 収録の度に牛を連れて茨城から来ていたが、たけしの発案で番組に出演するようになった。
^ たけしがミルクの方を、女性ではあるが顔と太目の容姿を見て「お笑い界の坂上二郎」と呼んでいた。
^ ただし、衛星受信の放送のみに許可されており、IPTV向けの放送では許可されていない。
^ 最終回では「SPECIAL THANKS」として表記。
^ 栗原は「ひょうきん族」で接したジミー大西を見てドラマ『ピュア』の主人公の着想を得たという[8]
^ 1982年に「ひょうきんディレクターズ」としてレコード「ひょうきんパラダイス」をリリースした。
^ 番組初期は「荻野ノコルゾ繁」名義。
^ 長らくローカルセールス枠であったことも起因。
^ この件は、さんまからしばしば指摘されており、たけしのサボタージュを皮肉った「カスタネットマン」というキャラクターも誕生している。
^ また、このことは最終回でも指摘されており、さんまはたけしに「今日は早退とかやめろよ」と言われている。
^ 最後に退場した山田邦子にスタッフから大きな拍手が送られた。これは『ひょうきん族』の流れを『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(『やまかつ』)で継ぐ意味もあった。ただし、『やまかつ』の内容は『ひょうきん族』とは大きく異なっており、スタッフも引き継がれていない。これは元々『やまかつ』が『いきなり!フライデーナイト』から派生した企画であるため。
^ CG導入以前は、番組の映像を静止画で断片的に流していただけだった。
^ 翌週が特番やナイター中継の場合はその告知。なお、初期の放送や「ひょうきんスペシャル」では提供・エンドカードはCMを挟んで別途表示していた。

出典
^ a b c d 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p52-53
^朝日新聞』2004年9月10日付「懐かしのお笑い、なぜ人気(サブch.)」
^ a b c 週刊ポスト2021年6月4日号「オレたちひょうきん族」40年目の真実 p15
^ a b 週刊ポスト2021年6月4日号「オレたちひょうきん族」40年目の真実 p141-143
^ (日本語) 「オレたちひょうきん族」オープニング35連発【音声のみ】, https://www.youtube.com/watch?v=gJEkRYwHDdM 2023年6月7日閲覧。 
^ 放送局の損失額は2億3000万円に

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