オルバーン・ヴィクトル
[Wikipedia|▼Menu]

政治家時代米国のジョージ・W・ブッシュ大統領と(2001年)

1989年10月23日共産党政権崩壊によるハンガリー共和国建国後、1990年の総選挙でフィデス=ハンガリー市民同盟から立候補し、当選。1993年には同党の党首に就任した。1990年代半ばの党内抗争で自党を離脱したグループが当時の中道左派政権に合流すると、オルバーンはフィデスを右派政党へ転換させた。宗教に無関心だったのが、1990年代後半にキリスト教教会へ通うようになったのも、右派層の支持獲得のためとみなされている[2]

1998年の総選挙でフィデスが勝利すると、中道右派政党との連立政権で首相に就任した。当時35歳で、ヨーロッパ最年少の首相であった。2000年に党首の職を辞し、後任にはクヴェール・ラースローが就いた。2002年の総選挙では過去最多の議席数を確保したが、社会党に僅差で敗れ退陣した。2003年にフィデス党首に復帰したが、2006年の総選挙でも社会党に敗れた。

再執権後しかし、その後の経済危機で左派連立政権が崩壊するなど混乱があり、2010年4月の総選挙でフィデスは議会の3分の2の議席数を確保する地滑り的勝利を収めた。同年5月29日に、8年ぶりに首相に就任した。

2014年4月6日の国民議会選挙において、フィデスは圧勝し、オルバーンは首相に再選された。2018年4月8日の国民議会選挙(英語版)でも圧勝。2022年4月3日の国民議会選挙でも与党が勝利し、同年5月16日に通算5期目の政権がスタートした[10]

公共事業の多くがオルバーンに近い企業に発注され、金額の一部がフィデスへの裏金になっていると報道されている。欧州不正対策局(OLAF)が不正を指摘したケースもあるが、検事総長が政府に任命されるハンガリー検察は捜査をほとんど行っていない[11]

2020年3月30日、ハンガリー議会において、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行拡大へ対応するための措置として、首相の権限を期限を定めず大幅に拡大する法案が可決される[12]。しかし、国内外から「独裁的」と批判されたこともあって同年6月16日に議会で撤廃された[13]

2024年3月、アメリカ合衆国のドナルド・トランプの別荘(マー・ア・ラゴ)を訪問。2024年アメリカ合衆国大統領選挙後を見据えた動きとして注目された[14]
主張・政策
ハンガリー民族主義

2011年の改正ハンガリー憲法で「ハンガリー政府は国境を越えてハンガリー系住民の運命に責任を持たなければならない」と規定し、ウクライナ西部などに住むハンガリー系住民への援助と市民権選挙権付与を行った。これは在外ハンガリー人を票田にすることと、国内での民族主義を鼓舞して自らへの支持を高める狙いがあると分析されているが、ウクライナ政府との軋轢を招いた[15]。この問題の歴史的背景については「ハンガリー王国の歴史的地域」も参照。

2022年には、オルバーンが公の場でオーストリア=ハンガリー帝国時代の地図をあしらったマフラーを着用していたことにウクライナ政府が抗議、謝罪を要求した[16]
移民・難民

欧州連合加盟国の中で移民難民に対し最も強硬な政府指導者で知られ[17]、「民族が混ざりすぎると問題が起こる」「移民は毒」と発言したこともある[18]。移民・難民を貨物コンテナに収容する法案も成立させている[19]
少子高齢化対策

オルバーンは移民に頼らない人口増加を重視し、第三子出産以降の所得税免除や不妊治療の無償化など徹底的な少子高齢化対策を行った[20][21]

特に二度目の首相に就任した2010年以降は、2012年に2人以上の子供を持つ家庭に対して住宅補助金および利子補給金給付を支給する新しい住宅政策を導入し、2015年には1人以上の子供を持つ家庭に対象が広がった現在の仕組み(CSOK)となり、その後も支給金額の拡充を中心に改革が進めている。また、2019年からは「出産ローン」という制度が創設され、結婚し出産を控えた夫婦に対して無利子で1000万フォリント(日本円で約410万円)のローンを提供している。子供を4人産むと母親の所得税(15%)が免除される制度も2020年1月から導入されている。これらの取り組みは、日本をはじめとした海外からも注目されている[22]
反LGBT「ハンガリーにおける反LGBT法」も参照


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:62 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef