オルタナティヴ・ロック
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1978年結成の地元のバンドデッド・ケネディーズ[11] は、自主レーベルオルタナティヴ・テンタクルズを立ち上げ、東海岸へのツアーを行うなど、早くから知名度をあげ世界的に知られるようになり、ジェロ・ビアフラはパンクの反体制的主張の代弁者として積極的に発言する。バークリーの公共放送KPFAの音楽番組『マクシマム・ロックンロール』のティム・ヨハナン (Tim Yohannan)は、オルタナティヴ・テンタクルズからカリフォルニア北部のパンクバンドのサンプラーをリリース、この48ページのライナーがパンク誌『マクシマム・ロックンロール』の創刊号となる。当初からこの雑誌のカラーとして、オルタナティヴな価値観を持ったパンク思想が記事として掲載されていた。

1986年にはオルタナティヴ・ミュージック・ファウンデーションを設立し、自主運営ライブハウス・ギルマンをオープンする。ギルマンは、ベイエリアのパンクシーンの中心として、グリーン・デイ、ジョーブレーカー、サマイアムといったバンドの活動拠点となった。ただし、『マキシマム・ロックンロール』を単にパンク音楽誌とみなすことはできない。その大量のレビューにはハードコア・パンク全盛期の草創期から、ポスト・パンク、サイケデリック、ノイズ、あるいはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの再発など、典型的なパンク以外の音楽もしばしば好意的に評されている。白人のラップが評価されたことは、黒人ラップが中心のR&Bチャートとは異なっていた。1984年からは日本のバンドも登場し、少年ナイフなども紹介されている。
東海岸

最大都市ニューヨークでは、パティ・スミステレヴィジョンらをルーツとし、ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズらが参加した『ノー・ニューヨーク』というオルタナティヴ・ロックらしいアルバムが発表された。

ワシントンD.C.は、黒人人口の比率が圧倒的に高く、オルタナ・シーンは小さい。地元レコード店主のスキップ・グロフにより1978年に自主制作で出された、ハーフ・ジャパニーズ[12] を含むニュー・ウェイヴ・バンドのコンピレーション・アルバム『30 Seconds over D.C.:Here Comes the New Wave!』が、地元バンドの作品である。グロフが設立を助けたティーン・パンクスによるディスコード・レコードも、D.C.を地図に載せることがテーマとなった。このティーンパンクスに大きな影響を与えたのが、ジャズから転向したアフリカ系アメリカ人パンク・バンド、バッドブレインズである。バッドブレインズは後にニューヨークに本拠を移し、東部のハードコア・パンク・バンドとしては初めて全米ツアーを行ってパンクスの間で知名度を上げた。さらにマイナー・スレット[注 7] をはじめとするティーンパンクスがハードコアを名のり、『フリップサイド』や『マクシマム・ロックンロール』(ラジオ番組、パンク雑誌の名称)を通じてDCシーンはパンクシーンで知られるようになった。しかし、バッドブレインズはボーカルH.R.がレゲエへの傾倒を強め、また、1983年にマイナースレットは解散した。
1990年代以降

1990年代初頭のアメリカでは、ニルヴァーナダイナソーJr.パール・ジャムサウンドガーデンなどがライブハウスやカレッジ・チャートなどを中心に、人気を獲得していった。彼らはグランジ・ロックと呼ばれた。すでに1970年代末にはオルタナティヴ・ロックという呼称は存在していたが、ジャンル名がアメリカの音楽ジャーナリズムで拡大していったのは、この時期である。グランジは、過去の全米チャート上位を独占した既存の1980年代的な産業ロック、ハードロックヘヴィメタルポップ・ロックなどとは違うロックのジャンルとして浸透していった。そのほかにも、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンレッド・ホット・チリ・ペッパーズといった、ロックにラップの要素を取り入れたオルタナであるミクスチャー・ロックが登場した。

その後、カート・コバーンの自殺[13] や、その他の音楽状況の変化が要因となって、グランジ・ムーブメントは終焉を迎えた。

2000年代以降のオルタナティヴ・ロック界では、ホワイト・ストライプスストロークスアークティック・モンキーズアーケード・ファイアリンキン・パークなどが活躍した。
オルタナティヴ・ロックに分類されるアーティストの一覧「Category:オルタナティヴ・ロック・バンド」を参照「Category:オルタナティヴ・ロック・ミュージシャン」を参照
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 初期にはキャバレー・ヴォルテール、ポップ・グループなどが所属した英国のインディーズ・レーベル。
^ 英米ではコーポレート・ロックと呼ばれた。
^ ソニック・ユースリプレイスメンツハスカー・ドゥなどもカレッジ・ラジオで人気のバンドだった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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