アルメニアへと逃げたエウメネスは同地の住民を味方につけて戦いを続行しようとしたが、配下の兵士の多くは彼を見捨ててアンティゴノスの許へと走った。そこでエウメネスは僅か600人の忠実な兵士(600人というのはディオドロスの挙げる数字で、プルタルコスは重装歩兵200人、騎兵500騎の計700人としている[4])と共にカッパドキアとリュカオニアの境界地帯にあるノラという難攻不落の砦に篭った。これを包囲したアンティゴノスはエウメネスと会談の場を設けて降伏を勧告したが、エウメネスは豪胆にも身の安全や放免を問題にすらせずに自身の領地の保全を要求した。これはアンティゴノスの受け入れるところならず、彼は部下にノラの封鎖を任せて主力部隊を率いて他のペルディッカス派の残党狩りへと向かった[5][4]。
註^ ディオドロス, 39
^ a b ディオドロス, 40
^ プルタルコス, 「エウメネス」, 9
^ a b プルタルコス, 「エウメネス」, 10
^ ディオドロス, 41
参考文献
⇒ディオドロス、『歴史叢書』( ⇒史料室)
⇒プルタルコスの「エウメネス伝」の英訳(プロジェクト・グーテンベルク内)