こうして完全にプロフェッショナルの存在を認めたテニスがオリンピック競技として復活するためには、IOCが「プロテニス選手」の参加を認める必要があった。1980年にIOC会長に就任したフアン・アントニオ・サマランチは、オリンピック改革として「アマチュア憲章の放棄」と「プロフェッショナルの解禁」を掲げた。これによって、1980年代から複数の競技でプロフェッショナルの参加が認められるようになった。テニスも例外ではなく、1988年ソウルオリンピックからトッププレーヤーが参加できるトーナメントとして復活を果たした。 オリンピックのテニストーナメントをどのように位置づけするかは決して簡単な問題ではない。オリンピック自体の権威や大会の男女シングルス・ダブルスのトーナメントというシステムを勘案すると、比較対象になるのは4大大会だが、オープントーナメントの4大大会と比較するとフォーマットがかなり異なるため、単純な比較は難しい。 オリンピックのトーナメントでユニークな点としては、以下のような点が挙げられる。 4年に1度のオリンピックを制することは極めて難しい。4大大会のキャリア・グランドスラムとオリンピックの金メダルを合わせて獲得することを「ゴールデン・スラム」(Golden Slam)と呼ぶが、これは1988年にシュテフィ・グラフが女子テニス史上3人目の「年間グランドスラム」を達成した後、同時にソウル五輪の金メダルを獲得したことから造られた新語である。1年のうちに「ゴールデン・スラム」を達成した選手は、今なおグラフ1人だけである。キャリアでゴールデン・スラムを達成した選手は、以下の通りである。なお、年間ゴールデン・スラム達成者は背景を金色にしてある。 達成者キャリア・ゴールデンスラム達成期間五輪初金メダル備考 達成者キャリア・ゴールデンスラム達成期間五輪初金メダル備考 達成者キャリア・ゴールデンスラム達成期間五輪初金メダル備考 達成者キャリア・ゴールデンスラム達成期間五輪初金メダル備考
大会の位置づけ
国ごとにエントリー数の制限が存在する。
3位決定戦(銅メダル決定戦)が存在する。
ダブルスは同国の選手としか組めない。
ゴールデン・スラム
男子シングルス達成者
アンドレ・アガシ1992年ウィンブルドン→1999年全仏1996年 アトランタ五輪
ラファエル・ナダル2005年全仏→2010年全米2008年 北京五輪
女子シングルス達成者
シュテフィ・グラフ1988年全仏→1988年全米1988年 ソウル五輪男女唯一の年間ゴールデン・スラム達成者
セリーナ・ウィリアムズ1999年全米→2003年全豪2012年 ロンドン男女唯一のシングルス・ダブルス両達成者
男子ダブルス達成者
トッド・ウッドブリッジ
マーク・ウッドフォード1992年全豪 → 2000年全仏1996年 アトランタ五輪
ダニエル・ネスター2002年全豪 → 2008年ウィンブルドン2000年 シドニー五輪
ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン2003年全仏 → 2006年ウィンブルドン2012年 ロンドン五輪
女子ダブルス達成者
パム・シュライバー1981年ウィンブルドン → 1984年全豪1988年 ソウル五輪
ジジ・フェルナンデス1988年全米 → 1993年全豪1992年 バルセロナ五輪4大大会では ナターシャ・ズベレワと、五輪では同国選手と組む制約のため メアリー・ジョー・フェルナンデスとペアを組んでの達成