1967年にベトナム戦争に志願し、翌1968年に除隊した後、メキシコで麻薬におぼれ、ヘロイン所持で逮捕されたが父親に保釈金2500ドルを出してもらって釈放してもらった[10]。1999年にマリファナ所持で逮捕、2005年にもマリファナ所持と飲酒運転で再び逮捕されている[11][12]。2008年には自身の映画を撮影中に自身のスタッフ三人と俳優二人が喧嘩して逮捕されている[13]。
『ウルトラマンガイア』に注目し「是非ともハリウッドで映画化させてほしい」とFAXを送ったことがある[14]。 歴史学教授のピーター・カズニックとともに、アメリカ社会で広く知られている「原爆投下によって、戦争を早く終わらせ、100万人のアメリカ兵の生命が救われた」という「原爆神話」に対して、反論をしている。『語られない米国史』のプロジェクトを始めたのは、ストーンの娘の高校教科書の広島・長崎についての記述が原爆投下を正当化するひどいものだったことがきっかけだという[15]。 最近では、次の時代を担う世代への教育的見地から、ドキュメンタリーを通じて、アメリカ現代史を問い直す作業に取り組み、その成果が2012年の映像作品『The Untold History of The United States
日本への原爆投下への認識
当時のアメリカ大統領であるハリー・S・トルーマンについては非常に批判的である。トルーマン政権内では多くの軍幹部が、空襲を受けて疲弊し降伏寸前だった日本に原爆を使っても意味が無いと進言していたが、それでも耳を貸さなかったのは、対日参戦へと動いていたソ連を牽制するためと主張している。原爆投下よりもソ連対日参戦が日本の降伏の決定打だと主張している。ソ連に対して「第二次世界大戦後のアメリカの勢力圏を守るという時にはアメリカは歴史上最も残虐な行為も厭わないということ」[16]を警告するためであると主張してる。ストーンは、ベトナム戦争の従軍体験から映画『プラトーン』を製作した40歳頃までは、「神話」(原爆正当論)にとらわれていたとも述べた[17]。
田原総一朗はヘンリー・キッシンジャーに対して日本への原子爆弾投下についてインタビューしたことがあり、「あなた方は広島と長崎に原爆を落とした。そしてまったく何の罪もない一般市民を大量に殺した。この責任をアメリカはどうとるつもりなのか」と質問したら、キッシンジャーは「広島と長崎に原爆を落とさなければ日本は本土決戦をやるつもりだった。本土決戦で何百万人、あるいは一千万人以上の日本人が亡くなるはずだった。原爆を落とすことでその人数をかなり減らしたんだから、むしろ日本はアメリカに感謝すべきだ」と答えたという。ストーンは「キッシンジャーの見方は私たちの見方とはまったく違います。私たちは広島・長崎への原爆投下は必要なかったと思っていますし、キッシンジャーは何もわかっていない人だと思います。彼はノーベル平和賞を受賞しましたが、同時に南米各地でのアメリカの残虐行為に関わったということで、戦争犯罪人として入国できない国もたくさんあるようです」と述べた[18]。
フランクリン・ルーズベルトが1943年1月にカサブランカでドイツ、イタリア、日本への「無条件降伏」を要求したことで、「無条件降伏」という「致命的な文言」が戦争終結の障害になったと批判している[19]。また、ストーンは「天皇制を保障すれば1945年5月に降伏しただろう」と述べている[20]。実際に国務次官だったジョセフ・グルーは、皇室維持条項を含む最後通告を1945年5月の段階で発していたなら、日本は6月か7月に降伏していたので原爆投下は必要なかったと述べている[21]。
2016年に、ストーンはカズニックとともにロサンゼルス・タイムズに「広島への原爆投下は世界を変えたが、戦争を終結させてはいない」という記事を寄稿した。その内容は「トルーマンはソ連の侵攻により日本の敗戦が決定的になることを理解していたが原爆の投下を決断した」という内容である。