オリバー・ストーン
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折衷案として米国聖公会で育つ[3][4](しかし、のちに仏教徒となった)。イェール大学で1年間学ぶが、中退してベトナム共和国に赴き、英語を教えるなどして半年程過ごす。帰国後復学するが、再び中退している。

1967年からアメリカ合衆国陸軍に従軍し、ベトナム戦争を経験。空挺部隊に所属し、LRRPと呼ばれる偵察隊に加わっていた。この任務は特殊部隊的な側面を持ち、死傷率がもっとも高かった部隊のひとつである。

除隊後にニューヨーク大学マーティン・スコセッシに師事し映画制作を学んだが、しばらくはシナリオが売れないなどスランプの時期が続いたが、1974年ホラー映画『邪悪の女王(英語版)』(日本ではVHSスルー、原題:Seizure、あるいはQueen of Evil)で長編監督デビュー[5]。脚本を担当した1978年の『ミッドナイト・エクスプレス』で、アカデミー脚色賞を受賞。『コナン・ザ・グレート』(82)、『スカーフェイス』(83)などの脚本で頭角を現す。

プラトーン』『7月4日に生まれて』の2作品でアカデミー監督賞を2度受賞する。その他の代表作には『ウォール街』『JFK』『天と地』『ナチュラル・ボーン・キラーズ』『ニクソン』『スノーデン』など。

特に『プラトーン』は、自身のベトナム戦争での体験がベースになっていると言われ、戦争という異常な状況下で人間はいかに醜く残酷になるか、そしていかに戦争が非人道的なものであるかを痛烈に訴えている。これらの作品についてはアメリカ国内では賛否が大きく、特にオリバー・ストーンと同じ世代ではその傾向が顕著である。

日本への来日の際、オリヴァー・ストーンは広島市長崎市沖縄県を訪れ、原爆資料館や米軍基地反対の沖縄住民の元を訪れた。沖縄ではジャーナリストのジョン・ミッチェルが同行した。

2017年、米国家安全保障局盗聴を告発したエドワード・スノーデンを描いた映画『スノーデン』が公開された際、「日本や韓国、北大西洋条約機構(NATO)などアメリカの同盟国と言われる国々は、僕は現実には同盟国ではなく アメリカに人質を取られた国 だと思っている」と語った[6]
人物

JFK』『ニクソン』『ブッシュ』と現職・元アメリカ合衆国大統領をテーマにした映画を3本製作している。

映画監督を志す前は、19歳の時に小説を書いたりもした。

私生活では3度の結婚歴があり、2度目の妻エリザベス(1993年に離婚)は『トーク・レディオ』『ドアーズ』『JFK』および『天と地』で "Naijo no Ko(内助の功)"とクレジットされた。1984年に生まれた息子は、俳優となって父の作品に出演している。

2008年アメリカ合衆国大統領選挙では民主党候補のバラク・オバマ候補を支持していた。2012年アメリカ合衆国大統領選挙の時は共和党から出馬していたリバタリアンロン・ポール候補を支持していたが、ミット・ロムニーが共和党指名を勝ち取った為、オバマ支持に回った。2016年バーニー・サンダースジル・スタインを支持した。2024年アメリカ合衆国大統領選挙の前に行われている、ドナルド・トランプに対する訴追については「政治的なもの」と批判しトランプに同情しつつも投票はしないという一方、ジョー・バイデンも「戦争屋」と批判して、だれにも投票しないと語った[7]

プーチン、親ロシア的態度を示しており、2014年ウクライナ騒乱を題材とした、ストーンが行ったインタビューで構成されている『ウクライナ・オン・ファイヤー』は「ロシアのプロパガンダ」とウクライナ、西側で批判された。ストーンがプーチンに対して行ったインタビュー『オリバー・ストーン オン プーチン』は、「あまりにプーチン寄り」「プーチン氏への質問というより、(プーチンに対するストーンの)オマージュ」と批判された[8][9]


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