さらには、バブル経済末期ということもあいまって、それまで映画製作に縁のなかった人々までが映画のプロデューサーに近いことをやれるということも魅力と3000万円から4000万という映画としては低予算な理由から殺到し[22]、当時全盛を迎えていたレンタルビデオ市場にオリジナルビデオが投入されていくことになった[23]。
1989年に数本だった製作本数は1990年に60本と急増[24]、1989年?1990年の二年間に19社のメーカーによってオリジナルビデオが発売された[25]。1991年には21社となり、150タイトルがリリース[25]。この1991年はVHSとベータのビデオ戦争がほぼ終わった年で[19]、VHSに統一されたことで普及率も頂点に達し、ビデオ産業の頂点の年ともいわれる[19]。1995年には150本[26]、2000年には年間製作本数が300本を越えるほどの濫造ぶりを見せた[17]。
しかし、濫作は育ちかけた市場を早期に供給過多に陥らせ、個々の商品の売り上げを落とし、その結果、粗製濫造された商品が出回り、さらに売り上げは落ちていった。製作当初、東映のVシネマは6000万円から7000万円の予算で製作されていたが、2000年頃のオリジナルビデオの制作費は2000万円から3000万円だったと言われる[27]。ピンク映画、アダルトビデオとの関わりが多いエロス系の作品においては予算はさらに切り詰められており、50万?100万円台の作品まで登場している(参考:ピンク映画の一般的な予算は250万?300万円と言われており、最近では200万円台の予算の作品も登場している。この予算枠は機材費やフィルム代、セッティング時間を食われる35ミリ映画時代も大差なかったため、低予算ノウハウがもっとも発達した業界となっている)。
低予算のオリジナルビデオでは、撮影もフィルム撮影からビデオ撮影へと変わり、近年ではシリーズ物の製作において、同じスタッフ・出演者で一度のスケジュール拘束で2話・3話とまとめて撮影するという手法が目立っている。
オリジナルビデオは、プロモーションのため短期間、単館で劇場公開されることも多く[28]、そうした作品はレンタルビデオ店で劇場公開作品として扱われる。
なお、アニメ作品に関してはOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)と呼ぶのが通例であり、こちらは上記の実写作品に先立つ1983年にはすでに最初の作品が発売されており、内容的にも上記のエロス作品等に該当しないものも多く存在する。
ホラーやアニメ、ヒーロー戦隊物など、オタクと呼ばれる層が広がり市民権を得ていったのは、オリジナルビデオを生み出したビデオレンタルの急成長と時期を同じくする1980年代半ばのこと[29]。
オリジナルビデオで扱われるテーマは多種多様であったが、その中でも特に多かったのがヤクザ、ギャンブル、エロの3ジャンルで、ホラーや都市伝説モノも一定の支持を集め、のちのジャパン・ホラーブームの下地をつくるなど、その後の映画界発展に大きく貢献したと評価される[3]。