オリジナルビデオ
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同年にはオレンジビデオハウスから『ギニーピッグ』シリーズが出されており、これらオリジナルビデオ製作の背景にはスプラッター映画のブームがあった[8][9]。その他にもアダルトアニメを発売していたワンダーキッズが井筒和幸監督で『コンバってんねん』を出すなど、黎明期のビデオ市場において散発的にオリジナルビデオは発表されていた。

キネマ旬報』1990年5月下旬号の特集「編集長対談 東映V CINEMA特集」では、「オリジナル・ビデオ映画の登場は1985年からで、この年東芝映像ソフトの『若者気分の基礎知識』『餓鬼魂』、徳間ジャパン俺ら東京さ行ぐだ』、バンダイ『うばわれた心臓』、V&Rギニーピッグ 惨殺スペシャル』の5本が製作・発売された。ただしフィルム製作は東芝映像の『餓鬼魂』だけで、残りはビデオ収録。しかし、当時のビデオ市場は作品ストックが豊富にあり、時期早尚であった」などと書かれている[10]

1989年東映映画制作部が製作と発売をし、東映ビデオが販売した東映Vシネマがオリジナルビデオを市場として確立する[1][11][12]。東映は低迷する日本映画の現状打開のため、映画制作とは別部門が管轄する映画配給にかかる費用を作品制作費に回すことで、低予算ながら劇場公開作品に劣らぬ品質を生み出そうとしたのである。いわゆる大作ではなくプログラムピクチャーをビデオ供給したものであり[13]、東映のこの試みは功を奏し、1990年までに発売した20本の平均売り上げ数2万7千本と1万本でヒットといわれるビデオ業界で大成功を収め[14]、1990年4月からは月に1本、10月からは月2本と量産体制を整え[15]、東映が商標権を保有する「Vシネマ」及び「Vシネ」をオリジナルビデオの略称とする意味合い(商標の普通名称化)で、事実上の代名詞として使用されることも多い[1][3][16][17]。このため、日本映画黄金時代にあたる1960年代から東映映画制作部がお家芸としているヤクザ映画も、この頃を境に劇場公開からVシネマに軸足を移した。配給スケジュールに囚われない制作のしやすさを活かした低予算製作のため、劇場用作品に比べて大量製作が実現できた。

東映の成功を追って[18]1990年代に入り他の映画会社も参入[1][3]にっかつが1990年3月15日に「Vフィーチャー」の製作開始を発表し、その第一弾『首都高速トライアル2』は3万本売れた[19]。続いて松竹1990年12月28日に「SHVシネマ」第1回作品、向井寛監督『女刑事サシバ』を発売し2万3000本売れた[19]。以降、大映が「新映画天国」を出し、様子を窺っていた東宝も「シネパック」を出した[19]。当時、映画会社は自社での劇場用映画の制作を減らしており、これら映画会社がオリジナルビデオをこぞって制作を始めたのは、それまでレンタルビデオのソフト供給源だった劇場用映画のVHS化作品が底を突き始めていたためという事情もあった[20]。とはいえ、外部事業者制作作品が主の東宝作品は、OVに関しても、外部受託に頼りきりで、民放キー局で唯一ビデオ会社との縁が無いテレビ東京が東宝向けの受託制作と発売を行っていた[注 1]。また、映画会社のみならず、ビデオ会社のジャパンホームビデオや『ミナミの帝王シリーズ』が有名作のケイエスエスアダルトビデオを制作していたダイヤモンド映像村西とおるが1990年11月、「日本ビデオ映像」を設立してオリジナルビデオの制作を開始し異様な活気と展開を見せた[19][21]

さらには、バブル経済末期ということもあいまって、それまで映画製作に縁のなかった人々までが映画のプロデューサーに近いことをやれるということも魅力と3000万円から4000万という映画としては低予算な理由から殺到し[22]、当時全盛を迎えていたレンタルビデオ市場にオリジナルビデオが投入されていくことになった[23]

1989年に数本だった製作本数は1990年に60本と急増[24]、1989年?1990年の二年間に19社のメーカーによってオリジナルビデオが発売された[25]。1991年には21社となり、150タイトルがリリース[25]。この1991年はVHSとベータのビデオ戦争がほぼ終わった年で[19]、VHSに統一されたことで普及率も頂点に達し、ビデオ産業の頂点の年ともいわれる[19]1995年には150本[26]、2000年には年間製作本数が300本を越えるほどの濫造ぶりを見せた[17]

しかし、濫作は育ちかけた市場を早期に供給過多に陥らせ、個々の商品の売り上げを落とし、その結果、粗製濫造された商品が出回り、さらに売り上げは落ちていった。製作当初、東映のVシネマは6000万円から7000万円の予算で製作されていたが、2000年頃のオリジナルビデオの制作費は2000万円から3000万円だったと言われる[27]。ピンク映画、アダルトビデオとの関わりが多いエロス系の作品においては予算はさらに切り詰められており、50万?100万円台の作品まで登場している(参考:ピンク映画の一般的な予算は250万?300万円と言われており、最近では200万円台の予算の作品も登場している。この予算枠は機材費やフィルム代、セッティング時間を食われる35ミリ映画時代も大差なかったため、低予算ノウハウがもっとも発達した業界となっている)。
低予算のオリジナルビデオでは、撮影もフィルム撮影からビデオ撮影へと変わり、近年ではシリーズ物の製作において、同じスタッフ・出演者で一度のスケジュール拘束で2話・3話とまとめて撮影するという手法が目立っている。

オリジナルビデオは、プロモーションのため短期間、単館で劇場公開されることも多く[28]、そうした作品はレンタルビデオ店で劇場公開作品として扱われる。

なお、アニメ作品に関してはOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)と呼ぶのが通例であり、こちらは上記の実写作品に先立つ1983年にはすでに最初の作品が発売されており、内容的にも上記のエロス作品等に該当しないものも多く存在する。

ホラーアニメ、ヒーロー戦隊物など、オタクと呼ばれる層が広がり市民権を得ていったのは、オリジナルビデオを生み出したビデオレンタルの急成長と時期を同じくする1980年代半ばのこと[29]


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