オランダ統治時代の台湾
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オランダによる統治が開始されると、フィリピンルソン島を拠点としていたスペイン人が台湾進出を試み、1626年に台湾北部の鶏籠(現在の基隆)を占拠、社寮島(現在の和平島)にセント・サルバドール城(San Salvador)」を築城し、蛤仔難(現在の宜蘭)に進出、滬尾(現在の淡水)にセント・ドミンゴ城(Santo Domingo)を築城した。台湾南部を中心に活動していたオランダ東インド会社は日本への進出を試みたが、北部を占拠するスペインの勢力に妨害され進捗を見なかった。閉塞状態の打破のために1642年、オランダは鶏籠に艦隊を派遣しスペイン人勢力を台湾から駆逐した。

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このようにしてオランダの植民地となった台湾であるが、1652年郭懷一を領袖とする漢族系移民の大規模な反乱が発生した。反乱は間もなく鎮圧されたが、事件により1万人以上の漢族系住民が殺害されたとされている。
オランダ統治の終焉

1661年から「抗清復明」の旗印を掲げた鄭成功の攻撃を受け、翌1662年には最後の本拠地要塞であるゼーランディア城も陥落したために、進出開始から38年で台湾から駆逐され、鄭氏政権の幕開けとなった(ゼーランディア城包囲戦)。1662年東インド会社を台湾から駆逐した鄭成功は、台湾独自の政権を打ち立てて台湾開発を促進する基礎を築いたことから、台湾人の精神的支柱「開発始祖」「民族の英雄」と評価されている[1]
歴史的意義『台湾告令集』/17世紀オランダ人に描かれた台湾原住民(1670年)

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2021年8月)

オランダによる統治に対する評価としては、第一に熱蘭遮城を中心とした植民地国家として、台湾で最初の系統的な政権が誕生したことがあげられる。オランダ統治機構はその後の台湾統治者に対しても少なからずの影響を与えている。それ以外にはオランダ統治以前には顕著な活動を行なっていなかった漢人移民であるが、オランダ人は福建省広東省沿岸部から大量の漢人移住民を労働力として募集し、彼らに土地開発を進めさせることでプランテーションの経営に乗り出そうとした。その際に台湾原住民がオランダ人を「Tayouan」(現地語で「来訪者」の意)と呼んだことから「台湾(Taiwan)」という名称が誕生したという説もある。

オランダ統治以前にも漢人移民は存在したという見解もあるが、当時の漢人移民の活動地域は澎湖諸島に限定されており、また人数も数千人規模であった。これは明朝が海禁政策を実施し移民を禁じたこと、台湾部落社会での生産能力が乏しく大量の漢人移民を受け入れる社会的基盤が成立していなかった等の理由によるものである。

それ以外の影響としては、オランダ統治期間中、原住民に対し教化政策を採用し、ローマ字による言語教育が実施され、それは新港文書などの成果をもたらし、その影響はオランダ統治期間のみならず、19世紀の台湾の社会にまで影響を与えた。また経済的にはヨーロッパよりもたらされた重商主義により、本来自給自足的な農業、漁労中心の経済活動であった台湾に本格的な商業を発生させたという点があげられる。
オランダ行政長官一覧

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代氏名オランダ語表記漢字表記着任年退任年
初代マーチヌス・ソンクMartinus Sonck宋克1624年1625年
第2代ジェラード・ウィッチGerard F. de With偉斯1625年1627年
第3代ピーテル・ノイツPieter Nuyts彼得・奴易茲1627年1629年
第4代ハンス・プットマンスHans Putmans漢斯・普特曼斯1629年1636年
第5代ヨハン・ヴァン・ディア・ブルフJohan Van Der Burg徳包爾1636年1640年
第6代パウルス・トラウデニスPaulus Traudenius保羅・杜拉弟紐司1640年1643年
第7代マクシミラン・マイルMaximilian Ie Maire麦爾1643年1644年
第8代フランソワ・カロンFrancois Caron加龍1644年1646年
第9代ピーテル・アントニスゾーン・オーフルトワーテルPieter A. Overwater)欧沃徳1646年1649年
第10代ニコラス・フェルブルフNicolas Verburg費爾勃格1649年1653年
第11代コーネリス・カーサーCornelis Caesar凱撒1653年1656年
第12代フレデリック・コイエットFrederick Coyet揆一1656年1662年
第13代ハーマン・クランク(着任せず)Harmen Klenck Van odessen柯蘭克1661年1661年

行政区画

北部地方会議区

南部地方会議区

卑南地方会議区

淡水地方会議区

脚注^ 上田信. “第17回 明朝から清朝へ”. NHK高校講座. 2021年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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