オムリ
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^ この宣言はあくまで支持者たちのもので、列王記の筆者はこの時点ではオムリを王とみなしていない。
^ 『列王記』上16:15-18
^ 『列王記』上16:21-23、28
^ この「悪」は「ヤハウェに対して忠実ではない(=異教の神への信仰も行ったり、ヤハウェに対してでも偶像崇拝的な行為など)」の意味で列王記に何度か登場する表現である。
^ 原文はアハブに対し「貴方の父」という記述でオムリの名前は出てこない。このため「父」はオムリではなく「以前のイスラエル王」の意味で、バシャがアラムの王ベン・ハダトに敗れたことを指しているという説をドナルド・ワイズマン教授は上げている(ドナルド・J・ワイズマン『ティンデル聖書注解 列王記』吉本牧人訳、いのちのことば社、2009年、P210)。
^ 先王の息子など出自が分かっている王は省かれている者もいるが、新王朝を築いた王は彼以外「キシュにはサウルという名の子があった」「ダビデは(中略)エッサイという名の人の子」「ネバトの子ヤロブアム」などと父の名前が明記されている。
^ ドナルド・J・ワイズマン『ティンデル聖書注解 列王記』吉本牧人訳、いのちのことば社、2009年、P187
^ テル・ダン石碑や黒色オベリスクなど。「○○の家」とはこの時代のこの地域で用いられていた慣用句で、○○が人名であれば国家や王朝(通常は開祖の王の名前が○○となる)を意味し、神名であれば神殿を表す慣用句となる。
参考文献
『新聖書辞典』いのちのことば社、1985年
表
話
編
歴
古代イスラエルの王
イスラエル王国
サウル前1000-前961
イシュ・ボシェテ前1000
ダビデ前1000-前962
ソロモン前962-前922
レハブアム前922
ユダ王国
レハブアム前922-前915
アビヤム前915-前913
アサ前913-前873
ヨシャファト前873-前849
ヨラム前849-前842
アハズヤ前842
アタルヤ前842-前837
ヨアシュ前837-前800
アマツヤ前800-前783
ウジヤ前783-前742
ヨタム前742-前735
アハズ前735-前715
ヒゼキヤ前715-前687
マナセ前687-前642
アモン前642-前640
ヨシヤ前640-前609
エホアハズ前609
エホヤキム前609-前598
エホヤキン前598
ゼデキヤ前597-前587
北イスラエル王国
ヤロブアム1世前922-前901
ナダブ前901-前900
バシャ前900-前877
エラ前877-前876
ジムリ前876
オムリ前876-前869
アハブ前869-前850
アハズヤ前850-前849
ヨラム前849-前842
イエフ前842-前815
ヨアハズ前815-前801
ヨアシュ前801-前786
ヤロブアム2世前786-前746
ゼカリヤ前746
シャルム前745
メナヘム前745-前738
ペカフヤ前738-前737
ペカ前737-前732
ホセア前732-前722
ハスモン朝
アリストブロス1世前104-前103
アレクサンドロス・ヤンナイオス前103-前76
サロメ・アレクサンドラ前76-前67
ヨハネ・ヒルカノス2世前67-前66
アリストブロス2世前66-前63
ヨハネ・ヒルカノス2世(復位)前63-前40
アンティゴノス前40-前37
ヘロデ朝
ヘロデ前37-前4
アグリッパ1世34-44
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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