オマーン
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紀元前3千年紀 アフダル山脈(英語版)にあるバット遺跡シュメール(ジェムデト・ナスル期(英語版))に輸出されていた。

紀元前2世紀ごろ アラブ人が移動・定住。

7世紀 イスラームに改宗し、当時影響力を及ぼしていたペルシア人勢力を追放。

1509年 ポルトガル人が渡来。16世紀初頭にポルトガルの支配下に入る。

1650年 ヤアーリバ朝がポルトガルからマスカットを奪回し、オマーン全土を回復。この後、19世紀末までオマーンの商船はインド洋全域を商圏とし、東アフリカ海岸部を勢力下に置いた(オマーン海洋帝国)。

その後、ヨーロッパ列強が東洋進出への拠点として利用した。イギリスフランスの争奪戦が起こり、18世紀の末、イギリスがオマーンと同盟条約を結んだ。

1741年ブーサイード朝アラビア語:?? ??????‎)による支配が始まる。

1798年 グワーダル(現在のパキスタン南西部)がオマーンの飛地となる。

1804年 サイイド・サイード(サイード大王)第5代スルタンに即位。

1820年 オマーン帝国アラビア語: ???? ?????‎)成立(Persian Gulf campaignの休戦協定をトルーシャル首長国と締結)。
ザンジバルのスルターン宮殿

1832年 東アフリカ沿岸の奴隷象牙香辛料貿易の拠点でもあったザンジバルに遷都。オマーン、全盛期を迎える。

1856年 サイード大王、死去。国土はオマーンとザンジバルに分割される。帆船ダウ船など)から蒸気船の時代となり、オマーンは急速に衰退する。

1891年 イギリスの保護国となる。

1954年 アフダル山脈(英語版)でジェベル・アフダル戦争(英語版)(1954年-1959年)が始まる。

1963年12月10日 ザンジバル王国が成立。

1964年1月12日 ザンジバル革命ザンジバル人民共和国(後にアフリカ大陸本土側のタンザニアと統合)が成立。

1965年 南部のドファール地方ドファール解放戦線(Dhofar Liberation Front)によるドファールの反乱(英語版)(1962年-1976年)が激化。

1967年 石油輸出を開始。

1970年 皇太子カーブースクーデターを起こし、父王サイードを追放、自身は国王に即位。また、国名をマスカット・オマーンから現国名「オマーン」に改める。

1971年 イギリス保護領より独立し、国際連合に加盟。

1972年7月19日 オマーン解放人民戦線によるミルバートの戦いが勃発。

1991年 立法権のない諮問議会の設置。

1997年 立法権のない国家評議会の設置。

2000年 世界貿易機関(WTO)に加盟。

2011年 アラブの春に触発された反政府運動(英語版)。

2020年 ハイサム・ビン・ターリク・アル=サイードが国王即位(1月11日)[3]

政治
絶対君主制現国王ハイサム・ビン・ターリク・アール=サイード詳細は「オマーンの政治(英語版)」および「オマーンにおける人権(英語版)」を参照

国王(スルタン)が政務を取り仕切る絶対君主制。国王は首相、外務大臣、国防大臣、財務大臣、軍最高司令官を兼任し、全ての法律は王室政令として発布され、行政官や裁判官の任免権も持つなど、絶大な権力を保持している。絶対君主制を維持しつつも、前国王カーブース・ビン・サイードは、近代的な法律の制定や諮問議会・国家評議会(いずれも政治的実権は持たない)の設置、毎年の地方巡幸などを通じて民心の掌握に努めていたため、体制の基盤は安定している。また、産油による高い国内総生産(GDP)も政治の安定に寄与している。2020年1月、長年在位したカーブースが崩御し、従兄弟にあたるハイサム・ビン・ターリク・アール=サイードが即位した。
行政・立法詳細は「オマーン議会」を参照
外交詳細は「オマーンの国際関係(英語版)」を参照

オマーンは湾岸協力会議(GCC)の一員ではあるが、GCC盟主であるサウジアラビアとは一線を画し、多方面との友好関係を模索している。イランと良好な関係を有し[6]、サウジアラビアなどによる対カタール断交にも参加しなかった(2017年カタール外交危機)。

一方で2018年10月には、イランや多くのイスラム教徒が敵視するイスラエルベンヤミン・ネタニヤフ首相の公式訪問を受け入れた[7]
日本との関係詳細は「日本とオマーンの関係」を参照

前国王(スルタン)カーブース・ビン・サイードの祖父に当たる先々代国王タイムール・ビン・ファイサルは退位後の船旅で1935年に訪れた神戸で出会った[8]日本人の大山清子と結婚しており、二人の間の子がブサイナ・ビント・タイムール王女である(前国王カーブースにとっては叔母にあたる)。

マスカットでは「オマーン・日本友好協会[注釈 1]」が日本語教育などの活動を続けている。2001年には、マスカット近郊のナシーブ・マスカット公園の敷地にオマーン平安日本庭園が開園した。GCC諸国では最初の日本庭園である[9]

2011年平成23年)3月に東日本大震災が日本で発生した際には、オマーンの王族系の企業から迅速な支援のために福島県南相馬市の落合工機に26億円の発注がされて話題となった[10][11][12]。また、同年9月には日本人女性書道家・矢部澄翔がオマーンを訪問、18の学校や機関で書道の指導やパフォーマンスを行った[13]


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