オペレッタ
[Wikipedia|▼Menu]
駆け出し時代を終えてもオペレッタを歌うオペラ歌手は例外的な存在であると書かれることが時折あるが、名声を確立したのちもオペレッタのライブ記録や録音・録画を複数残している大歌手としては、エリーザベト・シュヴァルツコップルネ・コロアンネリーゼ・ローテンベルガーエーリッヒ・クンツルドルフ・ショックニコライ・ゲッダエーベルハルト・ヴェヒターディートリヒ・フィッシャー=ディースカウヴォルフガング・ヴィントガッセンフェリシティ・ロットヘルマン・プライクルト・ベーメ、レジーヌ・クレスパン、ジークフリート・イェルザレムキリ・テ・カナワエディタ・グルベローヴァルチア・ポップヒルデ・ギューデンバーバラ・ボニーアンナ・モッフォテレサ・ストラータスグンドゥラ・ヤノヴィッツ、ボー・スコウフス、ワルデマール・クメント、などがいる。そのほかにもギネス・ジョーンズヒルデガルト・ベーレンス、ピョートル・ベチャワ、フリッツ・ヴンダーリッヒプラシド・ドミンゴナタリー・デセイジョーン・サザーランドなどにキャリア中期以降のオペレッタ出演歴が記録されている。若年となるとマリア・カラスの舞台形式デビューがスッペの『ファティニッツア』であった例が有名である。もっとも、このうち例えばシュヴァルツコップは戦後に実演でオペレッタに出演した記録はなく、その代わり録音では全体の2割を超えるほど注力している。

指揮者については歌手に比べると若干事情を異にし、かつては世界的巨匠といわれるクラスの指揮者がオペレッタを手がけることは少なかった。(もっとも「こうもり」だけは例外で、カラヤン、C・クライバー各3回、オーマンディ2回、フリッチャイ、クラウス、ロスバウト、ベーム、アーノンクール、プレヴィンと数多くの大指揮者の録音が残されてきた.他にクラウスは「ジプシー男爵」を残している)。しかし、1970年代にカラヤンが『メリー・ウィドウ』をレコーディングしたあたりから徐々に状況が変化、今日ではニコラウス・アーノンクールマルク・ミンコフスキフランツ・ウェルザー=メストクリスティアン・ティーレマンズービン・メータといった当代を代表する指揮者がオペレッタを重要なレパートリーとしている。

なお、ブロードウェイ・ミュージカルを、ヨーロッパで上演する場合、「オペレッタ南太平洋」や「オペレッタノー・ノー・ナネット」のように、オペレッタと呼ぶこともあった。
歴史

パリで19世紀半ばに起こり、オッフェンバックの『天国と地獄』などが人気となる。これがウィーンに飛び火し、元々ドイツ人であるオッフェンバックはしばしば同地を訪れてドイツ語版上演を指導、スッペヨハン・シュトラウス2世ミレッカーツィーラーツェラーら才能ある地元作曲家も同ジャンルの作曲を手掛けたことから、まもなくパリを上回る中心的都市となった。シュトラウスは『こうもり』などの名作を書いている。20世紀初頭の「銀の時代」[注釈 2]には、カールマンの『チャールダーシュの女王』・『伯爵令嬢マリツァ』、レハールの『メリー・ウィドウ』、シュトルツの『ウィーンのカフェ』などが知られる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:27 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef