もともとギリシャ悲劇の再来を目指した当時のオペラは、後にオペラ・セリア(正歌劇)と呼ばれるようになる(セリアは英語の「serious」の意)。題材はやはりギリシャ神話に求められることが多いが、ローマ時代などの人物を扱ったものも見られる。対立するオペラ・ブッファは喜劇であるが、セリアは悲劇とは限らない。ハッピーエンドのものも含まれており、そうした流れは後年の『トゥーランドット』などへ引き継がれている。
オルフェウスとエウリディケ(既出のペーリやモンテヴェルディの他にグルックなど多数)
ディドとエネアス(パーセル)
ポッペーアの戴冠、ウリッセの帰還(イタリア語版、英語版)(モンテヴェルディ)
ポントの王ミトリダーテ、イドメネオ、皇帝ティートの慈悲(モーツァルト)
セミラーミデ(ロッシーニ)
オペラ・ブッファ詳細は「オペラ・ブッファ」を参照
これに対し、もっと世俗的な内容の作品がオペラ・ブッファ(喜劇オペラ)である。もともとは、3幕もののセリアの幕間劇として演じられたコメディが独立し、規模拡大したものである。初期の幕間劇で今日まで残るものとして、ペルゴレージ(1710年 - 1736年)の『奥様女中』(1733年)がある。18世紀には独立されたジャンルとして発展し、パイジエッロ(1740年 - 1816年)、チマローザ(1749年 - 1801年)、サリエリ(1750年 - 1825年)などが多数の作品を残した。中でも、モーツァルト(1756年 - 1791年)がダ・ポンテの台本に作曲した『フィガロの結婚』(1786年)、『ドン・ジョヴァンニ』(1787年)、『コジ・ファン・トゥッテ』(1790年)が有名である。 18世紀前半のバロック時代後期のオペラには、ドイツ出身でイギリスで活躍したヘンデル(1685年 - 1759年)や、フランスのラモー(1683年 - 1764年)などに優れた作品があったものの、本場イタリアでは、カストラートをはじめとした人気歌手たちの声と技巧をひけらかすことを第一の目的とし、筋の方は支離滅裂で珍妙なものも増え、劇としては堕落の様相を呈する傾向があった。また、バロック・オペラのスタイルも誕生から百数十年が経ち、制度疲労と硬直化を見せるようになった。そうした状況の中、18世紀後半に古典派音楽の台頭とともに登場したのが、ドイツ出身のグルック(1714年 - 1787年)である。彼は、歌手のためにオペラがあるのではなく、オペラのために歌手が奉仕するような、あくまで作品とドラマの進行を第一とするような方向にオペラを再び立ち返らせ、ドラマの進行を妨げる余計な要素を一切廃したスタイルのオペラを書いた。当初はオーストリアのウィーンで、後期はパリで活躍するが、当然のことながら旧守派と激しく衝突し、ことにパリでの争いは歴史的にも有名である(後述)。改革されたオペラの第1作は、ウィーン時代の1762年に初演された『オルフェオとエウリディーチェ』であった。パリ時代の作品には『オーリードのイフィジェニー』(1774年)、『包囲されたシテール (改訂版)
グルックによるオペラ改革
グルックの「オペラ改革」は、後の時代に大きな影響を与えた。 何世紀もの間、イタリア・オペラが正統派オペラの形式であり、多くのオペラは、作曲者が主に英語やドイツ語を話していたとしても、イタリア語の台本に作曲された。 18世紀においてもなお、イタリア音楽こそが最高のものであるという認識が残っており、どこの宮廷でもイタリア人音楽家をこぞって重用した。その一方で、今日名を残す多くのドイツ人作曲家が登場したが、たとえばグルックはイタリア語、フランス語のオペラは書いたが、ドイツ語のオペラ作品は書いていない。またヘンデルは多くのオペラを書いたが、ドイツ語のオペラは1曲のみである。 19世紀に入り、ようやくドイツ圏のオペラはドイツ語で書かれる形が定着したものの、前世紀のバッハに続いて、ブラームス、ブルックナー、マーラーと一切オペラを残さなかった大作曲家が少なくない。一応オペラは残しているが、今日ではほとんど上演されない(ただし他分野では人気の高い)ドイツ系作曲家となるとシューベルト、リスト、シューマン、メンデルスゾーンがこれに加わる。 最初の重要なドイツ語のオペラは、時代をさかのぼること17世紀前半、シュッツ(1585年 - 1672年)の『ダフネ』(1627年)と目されているが、楽譜は現在では失われてしまっている。 17世紀後半になると、ドイツ語圏各地に宮廷劇場ができるが、1678年に三十年戦争(1618年 - 1648年)の影響の少なかったハンブルクに公開オペラハウスが建設されると、ドイツ人作曲家によるドイツ語オペラが数多く上演されるようになる。ここで活躍した作曲家にはタイレ(1646年 - 1724年)、クッサー(1660年 - 1727年)、カイザー(1674年 - 1739年)、マッテゾン(1681年 - 1764年)などがいるが、特に有名なのはテレマン(1681年 - 1767年)であろう。彼は18世紀前半に多くのドイツ語オペラを書き、それらは大いに人気を博した。 18世紀の後半になると、フランスのオペラ・コミックやイギリスのバラッド・オペラの影響を受け、喜劇的な内容を持ち、レチタティーヴォの代わりに台詞の語りをもったジングシュピールが生まれる。この様式はヒラー(1728年 - 1804年)によって完成され、その後ハイドン(1732年 - 1809年)やディッタースドルフ(1739年 - 1799年)によって、より音楽的に充実したものとなった。
イタリア・オペラとドイツ・オペラ
ドイツ・オペラの誕生と興隆