オプティカルプリンター
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映画の特殊効果処理に使われる、2つのプロジェクターを備えたオプチカル・プリンター。左端にあるランプハウスが光源。A:第1プロジェクターのフィルムゲート B:第2プロジェクターのフィルムゲート(C)にAの映像を投影するレンズ D:撮影レンズ E:カメラのファインダー F:シャッター・コントロール 基台Gで装置の全ての電子制御を行なう

オプチカル・プリンター(Optical printer)は、映画フィルムの編集装置で、現像済みの映写フィルムを別のフィルムに光学的に焼き付ける(光学合成、オプチカル合成)ために用いるもの。
概要

映画撮影機に接続する、1台以上の小型映写機からなる。修正、古いフィルムのコピー、そして特殊効果に用いられる。特殊効果には画面が徐々に明るくなるフェードイン・逆に段々暗くなるフェードアウト・画面が徐々に別の画面へと移り変わるディゾルブクロスフェードとも)・スローモーション・クイックモーション・マット合成などが含まれる。複雑な処理の場合、複数の特殊効果を1ショットに含めることもできる。

経済的な理由から、使用する場合でも通常の映像作品では、「特殊効果を加えるカット」だけがオプチカル・プリンターにかけられた。特殊効果を加えるカットは「ネガ編集」の段階で「オプチカル出し」と呼ばれるカットとして切り出され、合成されて戻ってきたネガフィルムが、合成されていないネガフィルムとつなげられた。そのため、オプチカル合成を行ったカットと行っていないカットとは世代が異なり、明らかに見栄えが異なる(この落差はプロが見なければわからない程度の差のものから素人が見てもわかるくらいに大きな差があるものまで、作品によってさまざまに異なる)。この見栄えの差を隠す技術は、ネガ編集やオプチカル・プリンターを担当するスタッフの職人技が発揮される部分でもあった。
歴史

最も単純な構造のオプチカル・プリンターは1920年代初めに開発された。その後、1930年にリンウッド・ダンによる改良が加えられ、1980年代にはコンピュータ制御を備えたものが現れた。

しかし1980年代終わりにデジタル処理による特殊効果が使われはじめ、1990年代半ば以降は、完全にデジタル処理に主流が移り変わった。それ以降、オプチカル・プリンターは商業作品で使われることは稀で、フィルム撮影を行なう一部の映像作家に使われるのみとなった。

1992年公開の『永遠に美しく…』がILMがオプチカル・プリンターを使った最後の作品である。
円谷のオプチカル・プリンター導入

1937年(昭和12年)に東宝の「特殊技術課」へと迎えられた円谷英二は、手動式の国産機を自ら設計することで、同課の合成技術の向上を目指していた。東宝でも、『ゴジラ』を機に合成技術の更なる向上を目指していた円谷の意欲に応えるべく[注釈 1]1963年(昭和38年)の6月にはアメリカにて開発済みの、オックスベリー(Oxberry)社製スリーヘッド方式オプチカル・プリンター1900シリーズを『マタンゴ』の撮影用に購入した[2][1][注釈 2]。設置はアメリカから赴いた同社の社員が1ヶ月かけて行ったが、日米での気候の違いから当時絶縁体として用いていた蜜蝋が溶けてしまったため、別途絶縁体を用意することとなった[3][注釈 3]

円谷は、スリーヘッド方式の性能でも満足しなかった。自ら主宰する円谷特技プロダクションに、フジテレビTBSからそれぞれ、円谷の優れた特殊技術を活かした新番組企画の発注があったことを知り、オックスベリー社で新たに開発されたフォーヘッド方式オプチカル・プリンター1200シリーズの購入を決断した。だが当時、世界中に2台しか存在しなかった1200シリーズの価格は11万ドルで、当時のレートで換算すると4000万円という高額な機材だったことから[注釈 4]、円谷は手付け金の500万円を工面すべく、円谷特技プロダクションを東宝傘下の会社にすることで、資金面での安定を図ろうとした。円谷はフジテレビで企画中だった新番組『Woo』の制作予算を回すことで一時的にしろ1200シリーズの購入代金を立て替えようと計画した。しかし『Woo』が中止となり不可能となった。船で輸送途上の現物をキャンセルする訳にもいかず、TBSの敏腕ディレクターで円谷の長男でもある円谷一の仲介で、TBSが代わって1200シリーズを購入し、同局のために円谷特技プロダクションがオプチカル合成技術を用いた特撮番組を制作するという契約が結ばれ、機材を遊ばせないためにまだ検討段階にあった『UNBALANCE』の制作を決定、タイトルは後に『ウルトラQ』に改められ1966年から放送を開始し人気を博した。また機材は後の「ウルトラシリーズ」でも使用される事となった。このプリンターはその後、TBS局内にあった「TBS現像所」(通称:TBSラボ)で長い間使用され、映画、CM等で活躍した。

当時の円谷プロの購入騒動に刺激されてか、オックスベリー社製のオプチカル・プリンターはその後も東映化学工業東洋現像所[4]などの大手現像所や、日本エフェクトセンターといった合成の専門会社に相次いで設置されることになった。因みに業界内でも高品質な合成カットで知られていたデン・フィルム・エフェクトの社内では、線画台を使った作画や合成用マスクの作成が専門であり、仕上げのオプチカル撮影は日本エフェクトセンターへと一任されていた[5]
エリアルイメージ合成機

東宝特殊技術課円谷プロがオックスベリー社製のオプチカル・プリンターを購入する以前、あるいは以後の映像業界でも、エリアルイメージ合成機[6]と呼ばれるオプチカル・プリンターの一種が、各社で重宝されていた。

これは、機材に付属している線画台にて作成したマスクをデュープ時に映像素材と合致させて、現像所に納入すれば翌日には合成カットが完成する仕組みである。構造自体は極めて単純ながら、合成時に必要な「雄マスク」と「雌マスク」の現像工程を省略して即座にデュープ処理できるのが最大の利点である。


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