オブザーバトリー・サークル1番地
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1974年7月、議会は現職の海軍作戦本部長が退任した時点で、提督の邸宅を「アメリカ副大統領の臨時公式官邸」とする新法を可決した。リチャード・ニクソンが大統領を辞任し、海軍作戦本部長がワシントン海軍工廠のA屯所(英語版)に移った後、その秋の後半に臨時の副大統領官邸となる様に提督の邸宅の準備に取り掛かった。 エルモ・ズムウォルトは副大統領の官邸になる前、オブザーバトリー・サークル1番地に住んだ最後の海軍司令官であった。ズムウォルトはこの選択に満足していなかったため、1976年の上院選(英語版)でバージニア州の上院議員ハリー・F・バード・ジュニア(英語版)に対抗するには十分な理由となった[15]

1974年の改装では、建物の施設を交換して更新し、内壁を取り除いていくつかの部屋の大きさを増加させた。 この改装の一環として内装は白に塗られ、壁はさまざまな無彩色の色になった。内部や外部空間の歴史性への配慮はなされず、内部の空間や外観を建設当時や初期の状態に復元しようとする試みは一切行われていない。外装は1961年当時の白い塗装がそのまま残されており、1895年の写真に写っている2階のシャッターが再設置された。ウォルター・モンデール副大統領夫妻とカーター大統領夫妻

1975年9月、この邸宅は正式に副大統領官邸とされた[16]。もし、リチャード・ニクソン大統領が辞任せず、ジェラルド・フォード副大統領にホワイトハウスを委ねなければ、フォードがこの邸宅の最初の居住者となっていた[17]。 後任のネルソン・ロックフェラー副大統領は、代わりにもっと大きな私邸に住む事を選び、「提督の邸宅」は接待のためのみに使用した[18]1977年1月にウォルター・モンデールがこの邸宅に住む初の副大統領となり、それ以来すべての副大統領の官邸として機能している[19]
その後の副大統領

新しい副大統領官邸を建てる代わりとして、オブザーバトリー・サークル1番地の大規模な改装が続けられた。1976年、海軍は276,000ドルを費やして、22台の窓付けエアコン蒸気暖房セントラルヒーティングに置き換えた。 雨漏りがした屋根は1980年スレートに置き換えられた。1981年ブッシュ副大統領夫妻が入居した際はカーペット、家具、椅子張りのために187,000ドルが集められ、翌年にはポーチの屋根の修理に34,000ドルを費やした。 水の浸透によって損傷した内壁と外壁の修理費用は225,000ドルに達し、さらに8,000ドルが小さな主寝室を作るために費やされた。1989年に就任したダン・クエール副大統領は入居を1ヶ月遅らせ、3階に子供用の寝室、車椅子でも利用可能な玄関、副大統領室にある浴室のアップグレードなどを含む300,000ドルの大規模な改修を行った[20]1989年にはパッティンググリーン1991年にはプール、温水浴槽、プールハウスが追加されたが、これらはすべて個人の寄付によって賄われた。同時期に屋上には525平方フィート(49u)のスカイライト付きエクササイズルームが追加され、多数のセキュリティ強化も行われた[12]

1991年、邸宅の維持管理にあたっていた海軍は議会が常設の副大統領官邸(公式の計画では提督の家の隣)を建設する意思がないと判断し、邸宅の大幅な改造と修復を選択した。1993年アル・ゴア1974年以来の大規模な改装を可能とするため、邸宅への入居を半年近く遅らせる事に同意した[21]。160,000ドルを費やした修復では暖房、空調、配管の交換やアスベストの除去、電気の再配線や換気システムの交換、ポーチが復元され、2階の家族スペースのアップグレードが行われた[要出典]。

ブッシュ副大統領はこの邸宅で過ごした8年の間に、900を超えるパーティーを主催した[22]

ダン・クエール副大統領在任中の1991年には非営利団体「副大統領官邸財団」が設立され、官邸の改装のために公的資金を調達するようになった。また、クエールはエクササイズルームやプールを増築した[9][note 1]

マイク・ペンス副大統領とセカンドレディカレン・ペンスは、2017年に夫人が敷地内に養蜂箱を設置した以外、公邸にはほとんど手を加えなかった[24][13]

現任の副大統領のカマラ・ハリスとセカンド・ジェントルマンのダグラス・エムホフは、2021年4月7日にオブザーバトリー・サークル1番地に入居した[6]。夫妻の引っ越しは、公邸の改修中だったため延期されていた[5]。 夫妻は改修中、ブレアハウスに居住していた[25]

1988年の大統領選に勝利したジョージ・H・W・ブッシュ副大統領とバーバラ夫妻

握手する当時のディック・チェイニー副大統領と次期副大統領に当選したジョー・バイデン候補者

2019年にマイク・ペンス副大統領が開いたハロウィンイベント

建築と装飾
クイーン・アン様式アル・ゴア副大統領の在任中に撮影された邸宅の前を覆う様な広大なポーチ

この邸宅は19世紀後半の四半世紀に流行したクイーン・アン様式(英語版)で建てられた。クイーン・アン様式の特徴は非対称な間取り、共通の中央ホールがなくお互いに開口する部屋の連なり、丸いタレットルーム、暖炉の近くのイングルヌック(英語版)、1階をおおう広いベランダなどで、そのすべての特徴がオブザーバトリー・サークル1番地で見られる。

建てられた時の邸宅の外壁はテラコッタ煉瓦で覆われていた。木のトリムは暖かみのあるパテグレーで、木製のポーチはパテグレーと白の組み合わせで塗装された。窓枠と方立は同じくグレーに塗られ、シャッターはオリーブグリーンに塗られていた。内部は主に海軍天文台の管理者の私物の調度品が置かれ、後に海軍作戦部長の調度品が置かれた。内部を写した当時の古写真には19世紀に中流階級が用いたイーストレイク(英語版)を含む様々なスタイルの家具が写っている。壁は模様入りの壁紙で覆われていた。

20世紀の最初の10年間でヴィクトリアン様式の建築は流行遅れになり始めていた。元々レンガ造りや複雑な塗装が施されていた木造住宅の多くが白塗りにする事で簡素化・「植民地様式化」された。これは外壁だけでなく内装にも頻繁に行われ、マホガニー、4つ割り(英語版)のオークアメリカ栗ウォールナットなどの取付家具(英語版)で部屋を明るくし、より現代的な印象にするために白で塗り重ねられる事が多かった。1961年には邸宅の外壁が白く塗られ、現在でもその色が残されている。
レイアウト

3階建ての煉瓦造りで、ホワイトハウスに比べはるかに小ぶりなこの邸宅のサイズは39×77フィート(12 m×23 m)、9,150 平方フィート(850平方メートル)の床面積である[要出典]。


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