オデオンレコード
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イギリスと北米地域をのぞく各国でビートルズのレーベルとして多く使用され、日本でもビートルズの現役時代、東芝音楽工業株式会社(現・ユニバーサルミュージック合同会社)からリリースされたレコードには、本来のパーロフォンのロゴの代わりにオデオンのロゴが使われたことで知られている(アップル・レコードが設立されると、カタログは順次アップルのロゴに置き換えられ[3][4]たが、1970年代後半?1990年代後半までは再びオデオンのロゴが使用されていた(厳密には上部に「EMI」のロゴも併記されている)[5] )。
由来

フランスパリ劇場の名前から取ったものである。
沿革

1903年 - ドイツベルリンに於いて、マックス・ストラウスとハインリヒ・ツンツによって設立。

1904年 - オデオンレコードが両面盤レコードライプツィヒ見本市に出展。

1911年 - カール・リンドストレーム社(パーロフォン・レコードを所有)に買収される。

1926年 - カール・リンドストレーム社、コロムビア(後の英EMI)に買収される。

1939年 - ドイツ国内のオデオン・レーベルとエレクトローラナチスの管理下に置かれた。

2013年 - ユニバーサル ミュージック グループがEMIのレコードレーベル部門を買収する。しかし、欧州委員会欧州連合競争法に抵触することを理由に資産の一部の売却を命じたため、EMIのイギリスベルギーチェコデンマークフランスノルウェーポーランドポルトガルスロヴァキアスペインスウェーデン部門がユニバーサル・ミュージックから分離され、パーロフォンの商標とともにワーナー・ミュージック・グループに買収された。これに伴い、該当するレーベルのオデオン時代の音源もワーナー・ミュージック・グループが保有している。

世界におけるオデオン・レーベル

ドイツから始まったオデオンレコードは、そのロゴとともに世界中へ拡散していった。
第二次世界大戦の影響や、断続的に続いた音楽業界の再編などに伴い、オデオンのロゴを冠したレコードは徐々に消えていったが、フランス日本ブラジルトルコアフリカ諸国などでは、EMI傘下の主要ブランドの一つとして戦後も使われ続けたり、戦後から新たなレーベルとして再出発するケースが見られた。
ドイツ

オデオン・レコードの生みの親である「インターナショナル・トーキング・マシーン(International Talking Machine Co. m.b.H.)」社は、1903年アメリカ人のフレデリック・M・プレスコット(Frederick M. Prescott)によって、ベルリンのヴァイセンゼー地区に設立された。

1900年代半ば、インターナショナル・トーキング・マシーンはイタリアのレーベル、フォノティピアと契約を結び、フォノティピアの親会社「ソシエタ・イタリアーナ・ディ・フォノティピア」にスタジオとエンジニアを提供し、フォノティピアのレコードの独占プレス権と販売権を握った[2]。それとともに著名な歌手や器楽奏者の録音を数多く行い、オデオンにソプラノ歌手リリー・レーマンが、フォノティピアにはヤン・クベリーク等が録音した。

1911年、インターナショナル・トーキング・マシーン社は、提携していた[2]イタリアのフォノティピアと共にカール・リンドストレーム社(Carl Lindstrom A.-G.)に買収されたが、オデオンの商標は存続した。

1926年、リンドストレーム社は英コロムビア(後の英EMI)に買収される。

1936年から1945年まで、リンドストレーム社はナチスが任命した人物によって経営され、オデオンは英EMIから独立して運営された。第二次世界大戦が発生すると、リンドストレーム社のインフラと工場は1945年までに破壊された。1951年EMIのもと「Carl Lindstrom GmbH」の名で再建され、オデオンのレコードをプレスした[6]

1972年、リンドストレーム社は同じEMI傘下のエレクトローラと合併し、「EMIエレクトローラ(EMI Electrola GmbH)」となった[7]

2012年9月21日エレクトローラおよびEMIのドイツ事業がユニバーサル ミュージック グループ(UMG)に売却された[7]2024年の時点で、ドイツのオデオンはUMGドイツ支社[8]「Universal Music GmbH」内のレーベルとして存続しており、ラインハルト・メイがオデオンから新譜を発表している[9]
日本

1930年[10]3月、オデオンレコードの日本発売元として「日本オデオン株式會社[11](本社:銀座6丁目交詢ビル内)」が設立された。

1931年、東京のイリス商会が設立したパルロフォンレコード[12]に吸収[13]される。1932年にはレコードの製造販売を停止[14]。パルロフォン社は1933年8月、原盤を日本蓄音器商会(現:日本コロムビア)に引き継いで、レコードの製作を中止した。

1963年1月、EMI(オデオンの親会社)の日本発売元だった東芝音楽工業(後の東芝EMIEMIミュージック・ジャパンを経て、現在のユニバーサル ミュージック合同会社[15])が、EMI傘下のコロムビア・レコードの日本配給権が日本コロムビアから東芝に移行したのを受け、それまでクラシック・ポピュラー問わずヨーロッパのEMI系列の洋楽の音源全般を統括していた「エンジェル・レコード」を、クラシック系を「エンジェル」、ポピュラー系を「オデオン」と分割し、ヨーロッパ圏の洋楽ポピュラーの販売を開始した[16]。エンジェル・レコードは天使のイラストを使ったレーベル・デザインで、他の国とレーベルロゴのデザインとほぼ同じだが、オデオンレコードは他の国に多い劇場のイラストを使ったものではなく、「Odeon」の「O」がレコードの溝のデザインになっている、日本独自のレーベル・デザインになっている。

東芝音楽工業のディレクターで、日本でのビートルズ人気を仕掛けた高嶋弘之が、洋楽担当としてビートルズを売り出すにあたり、当時の東芝音楽工業にあった「エンジェル・レコード」などの既存の洋楽レーベルではグループのイメージに合わないと考え、世界中のEMIが擁したレーベルから探したところ、この時点で日本では設立されたばかりで、特定のアーティストの色も付いておらず、響きも良かった「オデオンレコード」を、ビートルズのレコードに使用するようになった。


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